今回、タンザニア、ルワンダ、ウガンダを旅してきて思ったのは、まるでインドネシアの15〜20年前のような感じ、ということだった。
どの国も長期政権で、反政府勢力を力で押さえ込んでいる。その合い間に、経済を発展させ、国民を豊かにさせる。国民が成熟するのにつれ、近い将来に、大統領を公正な民主的な選挙で選ぶことをすでに想定しているようだった。
すでに、民主的な大統領選挙を3回実施したインドネシアは、そんな彼らよりもずいぶん先を歩いているようにも見えるが、今でも、ジャカルタの憲法裁判所前の騒ぎのように、嘘や陰謀で情報を操作し、力づくで民主的な結果を変えてしまおうという勢力がまだ存在する。
自分たちの主張が聞き届けられないとなると、直接の利害関係にない外国や特定の種族を敵視して、論点をずらしてまで自分たちの存在を多々鼓舞するような、非生産的なことを今だにやっている人々がいる。万が一、こうした勢力が権力を手にするようなことがあれば、インドネシアは一気に20年前へ戻っていってしまうだろう。民主化とは、普段の努力によって維持されるものであり、いったん間違えると、簡単に逆戻りしてしまう繊細なものでもある。
それは、種族の違いを無理やり強調し、自分たちを守るために相手を攻撃し、簡単に民主化への芽を摘み取ってきたこれら東アフリカ3国を見ているとよく分かる。その意味で、インドネシアは今のゴタゴタにきっちりケリをつけ、アフリカの国々に民主主義の定着を身をもって教えられる立場を確立しなければならない。
それはそうと、アフリカの旅でもう一つ印象的だったのは、アフリカの人々は意外にきちんとしている、ということだった。真面目といってもよい。ホテルの設備などで、基本的なアメニティや設備がしっかりしている。給仕の振る舞いもそつがなく、無駄にブラブラしているようなところがない。インドネシアでは、目に見えないからといって手を抜くことが頻繁にあるが、そういう素振りをあまり見かけなかった。
インドネシアからアフリカへ出かけて、そろそろ日本=インドネシア、日本=アフリカという形ではなく、インドネシア=アフリカという関係を促していける時代が来ているのではないかという予感がした。それは、ともすると日本に見られがちな上から目線ではなく、インドネシアとアフリカとが対等な立場で新しい何かを作り始めていく、という関係を構築できるのではないかと感じた。
実際、東アフリカ経済におけるインド系、パキスタン系、アラブ系商人の活躍は目を見張った。ルワンダのキガリで見た「エキスポ」には、パキスタン・コーナーやエジプト・コーナーが広く取ってあり、盛んに商売をしていた。中古車輸入・販売を手がけているのは、多くがパキスタン系で、おそらく彼らが日本からの中古車輸出をも手がけているのだろう。我々の知らないところで、彼らはすでに東アフリカ経済にとって不可欠な存在となっている。
第1回アジア・アフリカ会議は1955年、インドネシアのバンドンで開かれた。しかしそれ以降、インドネシアはアフリカからずっと遠い存在になってしまったような気がする。
インドネシアでアフリカの話になれば、ナイジェリア人が麻薬や覚醒剤を持ち込むといった話になるし、タクシーの運転手は、体臭がきついといってアフリカ人の乗客を毛嫌いする。あまりいいイメージで語られることはない。しかし、実際にインドネシアの人々がアフリカに行って人々と交われば、こうしたイメージは変わってくるだろう。
相手を知るということから相互理解と尊敬が生まれる。そして自分自身を深く知ることも重要である。忙しい、時間がないと言いながら、物事をインスタントに考えてしまう、知識が単なるレッテル貼りになってしまう、空気が支配しているとうそぶく世の中を、もう一度当たり前の普通の世の中へ戻していきたい。
あなたが私のことを知り、
あなたが本当にあなた自身のことを知っていたならば、
あなたは私を殺すことなどなかったはずなのに。
If you knew me
and you really knew yourself,
you would not have killed me.
キガリのジェノサイド記念館の壁に貼られたこの言葉を見ながら、人が人をもっとよりよく知り合える機会づくりをしたい、人と人をもっとつなげる人になりたい、そのために、自分自身を常に開いていきたい。そう、真に思った。
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