2014年10月23日木曜日

「インド×日本で5人の地域づくりの「プロ」を育てる」プロジェクトへの支援お願い

筆者がお世話になっているソムニードの和田信明代表から、以下のようなメールを受け取りました。

彼らによるトレーニングや研修は、まさに本物です。5人限定、というのは本物を育てるための機会だからです。参加者は必ず、目からウロコ状態の連続となるはずです。

日本の若者にこうした場を提供するためにも、皆さんからの支援をお願いしたいです。是非とも、よろしくお願いいたします。

個人的には、いずれ、「インドネシア✕日本で5人の地域づくりの「プロ」を育てる」をやってみたいです。日本人だけでなく、インドネシア人の地域づくりの「プロ」も育ててみたいです。

----------

松井 和久 さま

いつも、ソムニード(この11月1日より、ムラのミライと名称が変わります)へのご支援、ありがとうございます。

私が常駐するここ、ヒマラヤの麓カトマンズも、すっかり秋めいてきました。

天が近いせいか、日中の日差しはなかなかの強さですが、朝夕は、そろそろコートがいるかというこの頃です。

さて、ご案内の通り、現在、ソムニードは、日本で地域興しを志す若者たちを支援するキャンペーンを実施中です。

今、日本には、過疎と高齢化に衰退していく地方に根ざし、地方の可能性を掘り起こし、
豊かな自然の中で自分と日本の未来を築こうとする若者たちが、少なからずいます。

ただ、志と意欲だけがあっても、どのようにそれを実行していくか、

とりわけ、地元の方たちとどのようにコミュニケーションを取り、どのようにともに未来図を描いていくか、その方法が分からず、立ち止まり、悩む若者たちがほとんどです。

このキャンペーンの狙いは、一言で言って、そのような若者たちが必要とする技術を伝え、彼らの背中を後押しすることです。

幸い、私たちには、インドやその他の国で幾多の困難を克服しながら築き上げたそのような技術があります。

また、すでにインドで研修を受け、日本で実際にその技術を使いつつ地方で新たな動きを作り出している若者たちもいます。

このつど、そのような動きをより確かなものとするために、そのことに特化した「道場」を長年ソムニードが経験を積んだインドで立ち上げることにしました。

言うまでもなく、志があっても、先立つものがなかなか用意できない若者たちが多くいます。

彼らの意欲を無駄にしないためにも、そして、新しい日本の可能性をより現時的なものにしていくためにも、私たちはぜひ、この試みを成功させようと決意しています。

どうか、この私たちの意図をお汲み取りいただきまして、このキャンペーンにご支援をたまわりますよう、お願い致します。

<詳細、ご支援はこちらから>
「インド×日本で5人の地域づくりの「プロ」を育てる」プロジェクト
http://www.giveone.net/cp/PG/CtrlPage.aspx?ctr=pm&pmk=10375 

また、TwitterやFacebookでのシェアやお知り合いへご紹介いただけると幸いです。


NPO法人 ソムニード(11月よりムラのミライ)
和田 信明
-------------------------------
<キャンペーンに関するお問い合わせ>
NPO法人 ソムニード (11月よりムラのミライ)
プロジェクト担当:前川香子、田中十紀恵
west@somneed.org

http://www.somneed.org
http://www.facebook.com/SOMNEED
〒662-0856兵庫県西宮市城ヶ堀町2-22 早川総合ビル3F
電話/FAX 0798-31-7940

2014年10月21日火曜日

普通の人ジョコウィは只者ではない

(注:以下は、Matsui Glocalに掲載したものと同じものです)

10月20日、ジョコ・ウィドド(ジョコウィ)新大統領とユスフ・カラ新副大統領が就任した。

就任式でのジョコウィの簡潔な就任演説、就任祝賀パレードで埋め尽くされた人々から次々と揉みくちゃにされている笑顔のジョコウィ、カラ。

警備という言葉がどこか飛んでしまいそうな、権力者と庶民の近さである。

大統領はもはや雲の上の人ではない、自分たちと同じ人間だという感覚。大統領になるなんて思いもしなかったジョコウィには、自分も沿道の人々と同じだという思いがある。

大統領は仕事。大統領は成り行きでなってしまったもの。自分は自分。

多くの政治家が権力者になりたがるのとは対照的な、覚めた自分を持っているジョコウィ。今日のそんな笑顔のジョコウィには、自分を選んでくれた国民に対する感謝の気持ちがあふれているように見えた。

これまでのインドネシアの支配体制では、権力者が王様のように振る舞いがちであった。地方首長選挙の弊害の一つは、当選した地方首長が家族を重用し、王国を作ってしまう傾向にあった。

ユドヨノ前大統領は、10年間でそれを露骨にできる立場にあったにもかかわらず、自ら率先して王国を作るところまでは行かなかった。ユドヨノもまた、権力欲をむき出しにするタイプではなかった。

その意味で、ユドヨノはジョコウィに近い。ユドヨノも、自分が普通の人間であることを自覚していたように思える。アニ夫人のインスティグラムの写真はとても微笑ましいものだ。

そう、10年前、ユドヨノがインドネシアで初めての公選大統領に就任するときも、決して偉そうに振る舞ってはいなかった。自分も普通の国民の一人という感覚を持ち合わせていたと思う。あのときも、人々は自分たちの目線で物事を捉えられる指導者を求めていたのだった。

しかし、政治家の多くは、まだまだ自分を特別視していた。選民意識が強かった。特権を持った自分たちがなんでも決められると錯覚した。政党は政治家個々人の思惑を実現する装置にとどまり、成熟するには至らなかった。ユドヨノはこれら幼稚な政党を、赤子をあやすように相手にしなければならなかった。

10年が過ぎ、国民は今も自分たちの目線で物事を捉えられる指導者を求めている。政治家は今も選民意識が強く、一般国民との距離は開いたままである。彼らは「国民の代表」という顔をしながら自分の利益の実現を欲している。

政治エリートが自らを変えていけるか。これがインドネシア政治の最大の課題である。

その意味でも、ジョコウィ=カラの祝賀パレードが映像として全国へ流れたインパクトは無視できない。なにせ、インドネシアでこんなことをした指導者は初めてであるし、世界的に見ても、警備上の問題などで、まずあり得ない出来事だったからである。

映像に映し出されたのは、「みんなのジョコウィ」だった。特定の政治勢力の専有物ではない、インドネシアのみんなのための大統領だった。

大統領就任を前に、ジョコウィは、大統領選挙で敗北し、リベンジに燃えていたはずのプラボウォの家へ誕生日のお祝いのために駆けつけ、双方が敬意を表した。大統領就任式のときには外国へ出かけている予定だったプラボウォは、急遽帰国し、就任式に出席。ジョコウィの就任演説でも再度プラボウォに敬意が表され、なかなか敗北を認められず、落とし所を探りあぐねていたプラボウォの矛を自ずと収めさせることができた。プラボウォは自分のプライドを傷つけられずに収められた。

このような、敵を自分の側へ取り込めるジョコウィの能力は、今後の政局運営との関係で、見過ごすことができない重要な能力である。プラボウォは、もうリベンジに精を尽くす必要はなくなった。

そしてジョコウィは、政党色のないプロフェッショナルな内閣を作ることを約束している。

反ジョコウィでリベンジに燃えているとされた議会での「紅白連合」は、ジョコウィが政党に縛られている限りにおいて、その存在意義がある。ジョコウィ政権が政党色を出さなければ、紅白連合は攻めるのが難しく、自ずとその意味を失っていくだろう。

実際、プラボウォに密着していたゴルカル党のアブリザル・バクリ党首は、ジョコウィの就任演説後、ゴルカル党がジョコウィ政権を支持する意向を示した。プラボウォが党首を務めるグリンドラ党でさえ、ジョコウィ支持を言い出すかもしれない。それは、ジョコウィが特定政党の意向に沿った政権を作らない考えだからである。

これまでのプロセスを見ると、ジョコウィは実に巧みに自分が動きやすい環境を作ってきている。議会の話が中心の間は、様子をうかがいながら、自分の所属する闘争民主党など、選挙戦のときの与党側を立てていた。しかし、闘争民主党が圧勝しなかったからこそ、ジョコウィが政党の縛りから外れる状況が現れた。

おそらく最初から、ジョコウィは内心、それを表には決して出さなかったが、与党だけで政権運営をするつもりなどなかった。政党を超越したプロフェッショナルによる政権運営を考えていた。それを出せるタイミングを上手く見計らいながら、大統領就任にこぎつけた。

さあ、いよいよ、ジョコウィが真骨頂を発揮できるときが来た。まずは、どんな布陣で内閣を組織するかが見ものである。新閣僚は、たとえ政党幹部であっても、幹部職からの離脱が条件である。もちろん、ジョコウィ自身も、闘争民主党の一般党員ではあるが、党のために動くという姿は見せないはずである。大統領となった今、もはやメガワティ党首の下僕とはならない。

普通の人であるジョコウィ新大統領。実は、なかなかの巧者である。決して侮れない。只者ではない。ユドヨノのときとは違って、政党は彼に相当振り回されるだろう。そして、鍛えられるであろう。そう望みたいところである。

2014年10月9日木曜日

福島、山形、仙台、新宿

10月4〜14日の予定で日本に一時帰国している。

さっそく、10月6〜7日に福島、7〜8日に山形、8日に仙台に寄ってから東京、という日程をこなしてきた。

福島では実家に帰るとともに、前から会いたかった方々3名にお会いした。震災後、たくさんやってきていた外部者による支援、潮が引くように減っている状況がうかがえた。今後の活動は、おそらく外部者による支援という形ではなく、様々な人々による共創になっていくのではないか。そんな思いを強くした。

山形では、山形ビエンナーレを駆け足で見学した。見学できたものはわずかだったが、東北、山、門といったものが「ひらく」ということを象徴するように思えた。表現の一つ一つに、粗削りではあるが、ふつふつとほとばしる力を感じた。




山形ビエンナーレを見学しながら、東日本大震災のとき、真っ先に支援物資供給などで動いたのが山形だったことを思い出していた。青森、岩手、宮城、福島は交通が遮断されて孤島になっていたとき、物資輸送の後方支援基地として山形が果たした役割を忘れることはできない。

東北芸術工科大学。以前、筆者はこの大学の『東北学』のシリーズを購読し、友の会の会員だったが、その頃から一度来てみたかったキャンパスだった。ほんのわずかの滞在だったが、キャンパスから見た夕日は、建物の前にある池にも映えて、とても美しかった。




この大学に着いたとき、バス停の前は学生たちの長蛇の列だった。時刻表を見ると、山形駅行きに加えて、何と仙台行きのバスもある。仙台からだと、きっと1時間ぐらいで着くのだろう。

東北芸術工科大学内で「東北画は可能か?」という展示を見た後、山形駅行きのバスの時間を気にしながらバス停に来ると、バスは停まっているが、学生の長蛇の列は消えていた。あの学生たちは皆、仙台行のバスに乗ったのだった。

山形駅行きのバスの乗客は、私を含めてわずか2名だった。

後で聞いたら、山形の大学で学ぶ仙台出身の大学生は、ほとんどが仙台から大学へ通っているとのことである。たしかに、繁忙時の山形=仙台間の高速バスは5分おきに運行されている。片道930円、通学定期券ならもっと安いだろう。

他方、福島出身の学生は、山形に下宿する傾向が強い。福島から通学できる交通手段が鉄道ならば山形新幹線しかなく、費用もかかる。福島=山形の高速バスは、夜行以外はない。事実、福島から山形へ車で行く場合は、仙台経由の高速道路で行くのが普通なのである。

山形の夜は、ジャカルタでお世話になって以来、約15年ぶりに知人との再会を楽しんだ。3種類の日本酒冷酒の飲み比べをしたが、十四代の吟醸酒というのがとても美味しかった。後で聞いたら、なかなか手に入れられない高価な日本酒なのだとか。日本酒に詳しくない自分が飲んでしまって、飲んべえの皆様にちょっと申し訳なかった。

最後の締めの肉そばが格別に美味しかった。


8日は、山形駅前から高速バスで仙台へ出た。1時間。快適なバス移動だった。JICA東北で1時間ほど打ち合わせ。東北ともじっくり関わっていく予感が沸いた。

駅前の利久西口本店で牛たん定食を堪能した後、初めて乗る「はやぶさ」で東京へ戻った。仙台=大宮がわずか1時間、早さを本当に実感した。

8日の夜は、友人の原康子さんが出した『南国港町おばちゃん信金:「支援」って何?”おまけ組”共生コミュニティの創り方』という本の出版記念トークイベント(紀伊国屋書店新宿南口店)を覗いた。



コミュニティ開発などの開発援助の現場では、よそ者がそこの人々の自立をどのように促すかがもっとも重要である。そのための「支援しない」技術を体得した原さんの面白トーク炸裂だった。「支援しない」技術が求められるのは、開発援助の現場だけではない。日本でも、職場でも、家族でも、どこでも。もちろん、東北でも。

この本の申し込み・購入は、以下から可能です。

 ソムニードのホームページ
 新評論のページ
 アマゾン