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2014年9月27日土曜日

地方首長選挙法成立は明らかに民主化の後退

インドネシアの地方分権化・地方自治を、その芽生えから現在に至るまで、15年以上見続けてきた者として、やはり書かなければなるまい。

9月26日(金)未明、5日後に過去5年間の任期を終える国会は、地方首長選挙を「国民による直接選挙」から「議会による間接選挙」へ変えることを骨子とした地方首長選挙法を可決した。間接選挙への変更に賛成した議員が226名、直接選挙を堅持すべきと反対した議員が135名だった。

賛成議員の党会派は先の大統領選挙で敗北したプラボウォ=ハッタ陣営に属し、反対議員のそれは当選したジョコウィ=カラ陣営に属する。すなわち、地方首長選挙法をめぐる激しい議論は、結局は、大統領選挙の両陣営の戦いであり、プラボウォ=ハッタ陣営がある意味リベンジを果たした格好となった。

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プラボウォ=ハッタ陣営が地方首長選挙を間接選挙へ変えることに執心したのは、同陣営が大統領選挙後もジョコウィ=カラ陣営に対して負けた恨みを晴らすという一点で結集した「紅白同盟」(Koalisi Merah Putih: KMP)を、今後も維持し続けるためである。

彼らは国の重要政策について決して同じ考えを持っているわけではない。それをつなぎとめるには、カネやポストで釣るだけではなく、単純な主張が必要となる。今回、彼らの地方首長選挙法をめぐる議論でも、「インドネシアの民主化を西洋的なやり方から取り戻すため」「西洋民主主義ではなくパンチャシラ民主主義に戻すため」「直接選挙の結果、国富が外国勢に牛耳られる要素が高まった」といった、外国を敵視する主張が、何の論理的な脈絡もなく、繰り返された。

これは、とても危険な徴候である。「紅白同盟」の仮想敵は外国勢であり、外資とみて間違いではない。大統領選挙の候補者討論会で、プラボウォは国富の漏れが外国へ流れているのを止めて、それを開発へ活用すると述べていたが、その活用先として彼が真っ先に挙げたのは、高級官僚や政治家の待遇改善であったのを皆さんは覚えているだろうか。まず彼らの待遇が改善されないと汚職はなくならない、と彼は主張したのである。

国富の漏れを止めた後、それを誰にどのように配分するかは、大統領に選ばれた自分が適切に行う、と言わんばかりのプラボウォの演説であった。民主主義では、その配分が適切に行われるかどうかをきちんと第三者がチェックする仕組みが必要になる。でもおそらく、それは西洋的な民主主義の仕組みで、インドネシアにはそぐわない、と片付けることだろう。翻って言えば、自分たちの権益を守り、反対者の口を封じるために、外国(西洋)が仮想敵として活用されるのである。

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今回の最後の国会での議論を見ていても、中身の議論はほとんどなかった。

賛成派を勢いづかせたのは、民主党会派の退場であった。ユドヨノ大統領が党首を務める民主党は、当初は間接選挙に賛成していたが、先週、ユドヨノ党首が直接選挙の堅持を支持する方向性を示したことを受けて、条件付きで直接選挙の堅持という立場を採るに至った。民主党が提示した10項目の改善条件は、ジョコウィ=カラ陣営に属した政党会派も合意し、それら会派は民主党も間接選挙への変更に反対するものと思い込んでいた。

ところが、直接選挙か間接選挙かを投票を決める段になって、「州知事は間接、県知事・市長は直接というオプションが認められなかった」という理由で民主党会派が議場から退出した。これで、投票の結果は決まった。

多くの人々は、ユドヨノ党首が二枚舌を使ったと見なした。ユドヨノは最後の最後で自分が作り上げてきた民主的なシステムを自分で壊したという批判が出されたりもした。

しかし、国連総会に出席中のユドヨノは、民主党党首として「直接選挙を堅持」という自分の出した方針を貫徹せず、退場した民主党会派を厳しく批判し、犯人探しを始めた。留守を守るシャリフ・ハッサン党首代行は「民主党会派が勝手にとった行動だ」とユドヨノに同調した。

結局、民主党会派のヌルハヤティ代表が「退場」という決定を下したことが明らかになった。彼女はこれまで、頻繁に「紅白同盟」幹部とコンタクトしており、10月から発足する新国会での副議長ポストを「紅白同盟」から約束されていたという話が流れている。

それでも、ユドヨノの優柔不断さや二枚舌を念頭に、結局はユドヨノが自分を守るために嘘を言っているという声も強い。それほど、ユドヨノはもはや信頼を得られていないのである。

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それにしても、地方首長が議会で選ばれるというのは、2004年以前、スハルト時代の仕組みに戻るということを意味する。地方首長直接選挙は、言ってみれば、インドネシアの制度的民主化の一つの到達点だった。34州、550以上の県・市のトップが住民の一票で選ばれる。選挙自体で死者が多数出たりすることはない。

もちろん、不特定多数の有権者を念頭にカネを配り、かなり末端に至るまで候補者とその支持者どうしの対立が深まり、相当に根深い感情的なしこりをあちこちに作ってしまったことは確かである。当選した地方首長は地方ボス化し、選挙で使った資金回収のために、裏金作りなどの汚職に励むことが大きな問題となっていた。候補者どうしの対立が激しくなると、そこの地域社会が分断されることも多々あった。こうした状況を改善するために、以前のような議会で地方首長を選ぶ形に戻せば、住民どうしが対立することもなく、選挙資金も少なく済ませることができ、官僚も本来の業務に専念できる、という声も決して少なくはなかった。

しかし、それでも、住民が自らの手で地方首長を選ぶ経験を日常化したことの意味がある。普段の選挙では投票率が低いかもしれないが、いざ何かあれば、自分が投票できる、という機会をキープしていること自体に意味があるのである。住民は議会の議員も比例代表制による政党経由で選んでいるが、その議会をコントロールする役目を託して地方首長を選んでいる面がある。とりわけ、議員たちが汚職に走る現状を憂い、地方首長への期待が高まることもある。

地方首長が議会によって選ばれるとなると、改革派の地方首長はもはや現れないだろう。住民よりも先に、議員たちの機嫌を取らなければならないからである。車やら、家やら、ノートパソコンやら、様々なものを議員に提供し、業者がバックに付く議員に配慮してインフラ案件などをさばくことになる。しかも、うまくさばかないと、次の選挙では支持しない、といった脅しも地方首長は受けることになる。かつて、多くの地方首長が議員たちの懐柔に頭を悩ませ、住民のことなど考えていられない状況になった。住民のために動き、議員たちへの配慮の乏しい地方首長は、間違いなく次の選挙では立候補できなくなっていた。

現在のインドネシアには、議会との対決も辞さず、改革を進めていこうとする地方首長の人気が高まっている。だからこそ、ジョコウィのように、地方首長で実績を上げた人材が大統領にまで上り詰められる時代になったのである。もしも、地方首長が議会によって選ばれ続けていくならば、ジョコウィらはインドネシアの民主化の徒花として終わる運命となるかもしれない。地方首長選挙の次は、大統領を国会が選ぶ仕組みへ変えようという動きが出てくることが予想される。

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しかし、スハルト時代と違うのは、そうなってはならないと思う人々の数が圧倒的に増えたことである。

彼らはまず、憲法裁判所へ地方首長選挙法の違憲審査を求めるだろう。「間接選挙は民主化の後退」と明言したユドヨノ大統領は、自分の任期が終わる10月20日までに同法には署名しないものとみられる。ただし、法律の施行には大統領の署名が必要だが、署名なしでも、法律は可決から30日目で自動的に施行される。

30日目といえば10月25日、すでに10月20日にジョコウィが大統領に就任している。違憲審査請求が10月初めまでになされれば、それから結果が出る1ヵ月は法律は動かない。もちろん、ジョコウィ新大統領が法律の施行に反対を表明することだろう。制度的に地方首長選挙法への異議申立が進められるだろう。

一方、プラボウォ側は、国民の代表たる国会が成立させた法律の施行を迫るべく、様々な形で力を見せつける示威行動を行うかもしれない。地方首長選挙法の成立は、いまだジョコウィへのリベンジに燃えるプラボウォやその周辺にとっての第一幕にすぎない。第二幕は大統領選挙の間接選挙化であり、それを成立させる前であっても、ジョコウィを任期途中で引きずり下ろす戦略を考えるだろう。そのときに、外国敵視の話が使われることを危惧する。

たとえ間接選挙になっても、議員の態度や質に変化が起こり、有権者の代表としての意識が行動に現れれば、それなりによい地方首長を選出できるだろうが、そうなると期待している人々はほとんど居ないと思われる。

地方首長選挙法成立は明らかに民主化の後退である。それは、政党という今だに中央集権的な組織が、地方分権化の申し子とも言える改革派地方首長出現の可能性を摘んでしまうものである。

悲観的な論調の多いインドネシアのメディアだが、「地方首長選挙法は国民の権利を剥奪するという面で違憲である」といった判断が憲法裁判所から出され、法律が撤回される、ということもまだ起こりそうな気がしている。楽観も持ち合わせつつ、事態を注視していきたい。

2014年7月24日木曜日

大統領選挙の真の勝者はKawal Pemilu

今回の大統領選挙の勝者はジョコウィ=カラ組だが、真の勝者は、Kawal Pemilu(総選挙を守る、の意)という民間組織に集ったボランティアたちだったと思う。

今回の開票プロセスは、公開性が徹底された。なんと投票所レベルでの開票集計結果表がすべて総選挙委員会のウェブサイトに掲載されたのである。

集計結果表は、投票所レベル(C1)、郡レベル(DA1)、県・市レベル(DB1)、州レベル(DC1)とあり、すべてその結果を見ることができる。とくに、投票所レベル(C1)については、集計結果表がスキャンされて画像データで掲載されている。

 投票所レベル(C1)
 郡レベル(DA1)
 県・市レベル(DB1)
 州レベル(DC1)

そして、インドネシア全国あるいは世界中の名も無きボランティアたち約700人が、投票所レベル(C1)のデータをスキャン画像から読み取り、手分けしてそれを入力し、投票所レベルから村レベル、郡レベル、県・市レベル、州レベル、全国レベルに至るまで、ひと目で開票結果が整合的になっているかどうか分かるようにした。

これは総選挙委員会の公式開票プロセスではないが、万が一、公式開票プロセスのなかでデータの捏造が行われたとしても、それがすぐに分かってしまう状態になったのである。

日本では、各投票所のデータがウェブで検討するなどということは行われない。なぜなら、開票プロセスでデータの捏造が行われない信頼が確立しているからである。

しかし、インドネシアでは、その信頼が確立されていないだけでなく、今回のような、ブラックキャンペーンやネガティブキャンペーンを通じたなりふり構わぬ汚い選挙で僅差の場合、公式開票プロセスのなかでデータの捏造が行われ、捏造データが公式データとなってしまう可能性が極めて高かった。今から振り返っても、その危険を感じてぞっとする。

実際、ボランティアたちのKawal Pemiluのサーバーはハッカーたちの激しいサイバー攻撃にさらされた。その攻撃に伴うデータ改ざんの可能性をはねのけて、何とかゴールまで辿り着いたというわけである。

Kawal Pemiluの集計結果はウェブ上に掲載されているので、それと総選挙委員会の公式集計結果とを比べてみてほしい。どちらも投票所レベルのデータから始まっているので当然といえば当然なのだが、数字はほとんど同じといってよい。

 Kawal Pemiluの集計結果
 総選挙委員会の公式集計結果

プラボウォ=ハッタ組は、これらのデータが総選挙委員会による組織的な捏造だと批判している。しかし、こんな公開性の高い開票プロセスを採っている国は、インドネシア以外に世界中でどれほどあるだろうか。

結果的に、総選挙委員会の活動は公開性のある正当性のあるものである、と見なされた形になる。しかし、Kawal Pemiluのボランティアたちの作業があったからこそ、データのすり替えや捏造を防げたのではないだろうか。

誹謗・中傷の渦巻く汚い選挙運動が行われた今回、総選挙委員会とKawal Pemiluの仕事は賞賛に値する。加えて、選挙の準備段階から投票、投票箱の搬送に至るまで、公正な選挙を行うためという一心で一生懸命に活動した全国津々浦々の無数の人々の存在を忘れてはならない。

これら、懸命に民主主義を守ろうとする人々の活動があり、それを受け入れ認める土壌が培われたインドネシアを、我々はもっと信じてもいいのではないかと思っている。

2014年7月23日水曜日

大統領選挙結果発表が終わって

7月22日、総選挙委員会は大統領選挙開票結果を発表し、ジョコウィ=カラ組が勝利したことを確定した。

これに先立ち、対立候補ペアのプラボウォ=ハッタ組は、総選挙開票プロセスに様々な問題があるとして、大統領選挙自体の有効性に疑問を呈し、大統領選挙から引く(tarik diri)と発表した。その後、大統領選挙から辞退(mengundurkan diri)したわけではないとの弁明が出たり、「結果を問題にしているのではなくプロセスを問題にしているのだ」という発言が出たりして、プラボウォ=ハッタ組のなかで混乱が生じている。

この状況を、日本のマスコミも含めた多くの人々は、「プラボウォが負けを認めたくないのだ」「事実上の敗北を認めたのと同じことだ」と色々に捉えた。

大統領選挙の開票プロセスを問題にしたということは、プラボウォ=ハッタ組は総選挙委員会を批判・敵視したということである。実際、大統領選挙開票結果の発表に対して、プラボウォ=ハッタ組は証人を送らなかったし、陣営の誰も出席しなかった。

プラボウォ=ハッタ組は、不正があったと思しき投票所での投票のやり直しや開票のやり直しを求めている。これに対して、総選挙委員会は、不正があったという証拠をプラボウォ=ハッタ組に求めているが、これが証拠だというものがメディアには明確に現れてこない。それをもって、プラボウォ=ハッタ組には、憲法裁判所へ不服申立を行うよう求められている。当初は憲法裁判所へ不服申立しないという声も聞こえたものの、結局、プラボウォ=ハッタ組は不服申立を行なった。

これらの一連の不服行動で目につくのは、副大統領候補だったハッタの姿が見当たらないことである。プラボウォ=ハッタ組の名前で行動しているのだが、ハッタがいないのである。これにはいろいろな憶測が流れているし、ハッタ自身は、総選挙委員会での開票結果を尊重する旨の発言を行ったとされている。

プラボウォが「大統領選挙から引く」と演説した件についても、内部では誰がそれを進言したのかであたふたしている。ゴルカル党重鎮のアクバル・タンジュン元党首だという声が上がると、アクバルは「自分ではなく陣営内の法律チームだ」という始末。どうやら、「大統領選挙から引く」とプラボウォに演説させたこと自体が戦略的に間違っていたのではないかとの疑念が上がっている様子だ。

要するに、プラボウォ周辺は、総選挙委員会の開票プロセスや開票結果について反論し、自らが真の勝者であることを証明することにあまり自信がなさそうな気配がある。800万票の差を覆すには、どのような手法がありうるのか。現実的にそれは無理なのではないか。時間が経てば経つほど、プラボウォの周辺から機会主義的な政治家たちが去って行くことであろう。プラボウォを支えようという熱は急速に冷めつつある。

ブラックキャンペーンやネガティブキャンペーンも含めて、自分に有利なように事実を作り替えるという戦略、そうやって国民を洗脳できるという戦略は、ある意味、国民を愚弄し馬鹿にした戦略だったともいえる。この場に至っても、ジョコウィへの誹謗中傷攻撃は止んでいない。

シンガポールなど海外に多数のジョコウィ夫妻の隠し口座があるという怪文書が現れている。そんな話がまだ通じると思っている、それで世論を反ジョコウィへ転換できると思っている浅はかさこそが、今回のプラボウォ=ハッタ組とそれにすがった旧来エリートたちの態度を象徴している。

メディアは、嬉々としてジョコウィ「新大統領」を追いかけ回している。他方、どんな手段を使ってでも、どんなに資金をつぎ込んででも、大統領になろうと執念を燃やしたプラボウォは、「大統領選挙から引く」という発言によってかえって政治家としての未熟さを露呈させ、自滅の方向へ進んでしまった感がある。あの場で「敗北」という結果を受け入れ、自身が党首を務めるグリンドラ党を健全野党として育成するという姿勢を見せていれば、今頃、彼は素晴らしい人物だと賞賛されていたことであろう。

一部で懸念された暴動のような事態は、今回は起こらなかった。法規や手続きに従って物事を進めなければならないということが国民の間にしっかり浸透したことに加えて、騒ぎを起こしても国民の多くの支持を得ることはない、昔のようなすぐ暴動の起こるインドネシアへは戻りたくない、もう戻ることなどありえない、そんな空気が、経済発展の続くインドネシアで社会全体に共有されているのだと筆者は感じていた。

ジョコウィになったからといって、インドネシアのすべてがよりうまくいくとは限らない。旧来エリート層とのせめぎ合いは続くだろうし、経済が発展したからこその新たな困難な問題も多発するだろう。それを権力者が魔法使いのように解決してみせる時代が終わったことを国民は意識していくことだろう。

国民がデマや嘘情報で操作される時代は終わり、問題解決にあたって国民も傍観者として済ませるわけにはいかない時代に入ったのかもしれない。スハルト時代から言われてきた「浮遊する大衆」(floating mass)という、権力者の統治概念が変わり始めたともいえる。

2014年7月12日土曜日

大統領選挙投票日を過ぎて

7月9日のインドネシア大統領選挙投票日は、投票自体は大きな混乱もなく終わることができたが、予想通り、両陣営がともに勝利宣言をする事態となった。

これまで度重なる選挙でクイックカウントを行なってきた調査会社は、こぞってジョコウィ=カラ組の勝利と伝えたが、そのほとんどは、ジョコウィ=カラ組に与した立場を採ってきた。他方、プラボウォ=ハッタ組の勝利と伝えるクイックカウントを行なってきた調査会社は無名で、かつて南スマトラ州知事選挙の際にクイックカウントの数字を偽造した疑いのある会社や、陣営の選対関係者が関わっているとされる会社が含まれていた。

ここで危惧されるのは、これまでの選挙で培われてきたクイックカウントへの信頼が今回の大統領選挙で失われるのではないかということである。誹謗・中傷を含めた情報戦のなかで、クイックカウントまでもがその一端になってしまう可能性が明確に現れたからである。

その意味で、国営のインドネシア共和国ラジオ(RRI)が今回、クイックカウントを行なったことは注目される。RRIのクイックカウントは中立とみなされたからである。このRRIのクイックカウントの結果はジョコウィ=カラ組の勝利を伝え、これまで何度もクイックカウントを行なってきた有名調査会社のそれと変わらなかったことで、それら有名調査会社のプロフェッショナル度が逆に確認されることになった。

プラボウォ=ハッタ組が「クイックカウントはヤラセだ」と主張しても、RRIの存在により、辛うじて中立性が保たれた形になっている。

筆者の長いインドネシア・ウォッチ経験から言うと、これまで、「ヤラセだ」と相手を非難する側こそがヤラセを行なっているケースが極めて多かった。それは、自らが責められる前に相手を責めるための方便である。自らに有利なように情報操作をしているのだが、相手からそう指摘される前に、「相手が自分に有利なように情報操作している」と先制して非難をするのである。

今回も、どうやらそのような展開だったと推察できる。プラボウォ=ハッタ組の勝利を伝えたクイックカウントのデータの信ぴょう性が次々に暴かれている。彼らの勝利を最後まで伝えてきた民間テレビTV Oneは、信ぴょう性への疑問が高まったためか、株価が下落し、途中でプラボウォ=ハッタ組優勢のクイックカウントを流すのをやめてしまったらしい。

本当にそうなのか、圧力をかけるためにジョコウィ支持者が同株を売りまくったのか、真相はわからないが、実際、選挙運動期間中のTV Oneのプラボウォ=ハッタ組への偏向、ジョコウィへの攻撃ぶりには目に余るものがあった。ずっと見続けていると、容易に洗脳されてしまうような錯覚に陥った。もちろん、ジョコウィ=カラ組を支持する内容を流し続けたMetro TVも偏向していたが、相手への攻撃という観点からすると、TV Oneのほうが遥かにすごかった。

しかし、それを客観的に計測できない以上、メディアはTV OneとMetro TVを両成敗せざるを得なかったのである。

プラボウォ=ハッタ組は、クイックカウント攻勢での劣勢のなか、福祉正義党(PKS)の末端組織を使って情報を集め、「リアルカウント」の結果を発表し始めた。そして、そのリアルカウントでは、プラボウォ=ハッタ組の勝利を示し続けている。ところが、この数字が投票日よりも前に出された予測値に似通っているとの指摘も出ている。

ジョコウィ=カラ組も「リアルカウント」の結果を集計し始めた。当然、こちらではジョコウィ=カラ組の勝利という結果を出している。

情報操作合戦は、クイックカウントから「リアルカウント」へと移っている。

投票所レベルでの集計表は、総選挙委員会(KPU)のホームページにスキャンされたファイルで表示されていて、誰でも見られるようになっていた。ところが、そのなかに、両陣営の片方しか証人のサインのないものや、集計数字の合わないものなどが発見された。KPUは単なる技術ミスとしているが、不正の可能性がすでに指摘されている。理由は定かではないが、7月12日夜時点で、その投票所レベルでの集計表データがウェブ上で見られなくなった。

KPUは7月22日に最終得票結果を発表するが、7月10〜12日に村落レベル、13〜15日に郡レベル、16〜17日に県・市レベル、18〜20日に州レベルで集計作業が行われる。全国レベルの集計は20〜22日に行われる。

このそれぞれの過程で結果が出る前に、何らかの票操作が行われる可能性がある。なぜならば、今回の選挙で、少なからぬ行政の長がプラボウォ=ハッタ組への支持を明確にしており、その影響を確実に排除できるかどうかに疑問符が生じるからである。彼らもまた、ジョコウィが大統領になった場合に既得権益が維持できるかどうか、不安を抱く側にいる。他方、ジョコウィ=カラ組も何らかの票操作を行う可能性が絶対ないとは言い切れない。これらを監視するためにも、両陣営による「リアルカウント」の情報収集と票操作への監視が不可欠になるのだろう。

たとえば、マレーシアでは、投票所投票(9008票)でジョコウィ=カラ組が53.46%の得票で勝ったが、郵送投票では、プラボウォ=ハッタ組が3万9671票でジョコウィ=カラ組の3709票を圧倒した。その結果、合計では、プラボウォが4万3770票(得票率83%)で圧勝した。これをどう読むのか。投票所投票と郵送投票でこれほど極端に差がつくものなのか。

様々な状況で不利なはずのプラボウォ=ハッタ組の自信が気になる。すでに、「勝利」のための何らかのシナリオを用意しているのだろうか。ジョコウィ=カラ組も同様にシナリオを用意していることだろう。表面的な動きはあまり目立たないが、7月22日までに全国の隅々で起こる開票結果の正当性の確認作業が重要になる。

2014年7月9日水曜日

大統領選挙投票日前夜

7月5日から日本へ帰っている。私の知り合いのほとんどの日本人インドネシア政治研究者は今、ジャカルタに集結しているようだ。いつも自分は他人と違う行動を採るのが性分のようだ。

これまでずっと大統領選挙をめぐる動向を追いながら、情報というものについていろいろと考えていた。捏造・偽造情報を流したり、重箱の隅をつつくように小さなゴシップを大きな過ちとして大きく騒ぐようなことは、これまでの選挙ではあまり露骨に現れなかった。そして、それらを専門にやり続けながら、報酬をもらっている奴がいることを想像した。

インドネシア人は他人の間違いを詮索したり、揚げ足を取ったり、フォトショップを使って写真を偽造したり、根も葉もない噂をわざと流して他人を貶めたりすることに、こんなにも労力とエネルギーを使うことを厭わないのか、と悲しくなった。これだけの労力とエネルギーと「想像力」をもっとプラスに使えば、インドネシアはもっと活力のある良い国になっていくはずだと思い続け、インドネシアの友人たちへ向けてその気持ちをインドネシア語でツイートしてきた。

今回の大統領選挙はそういう選挙だった。情報合戦や心理戦争にどちらの陣営が屈するかの勝負だった。派手にやったのはプラボウォ陣営である。陣営が直接指揮した形をあえて採ってはいないが、ジャワ島のプサントレン(イスラム寄宿学校)へジョコウィを誹謗中傷したタブロイドをくまなく流すには、プサントレンの住所リストを持った宗教省、大量のそれを送付したバンドン中央郵便局などの、少なくとも間接的な協力がなければ不可能である。

プラボウォの個人レターが学校経由で教師へ送られた件も、教育文化省などによる学校の住所リストがなければ不可能である。

ジョコウィへの誹謗中傷は、目を覆いたくなるほどであった。実は華人だ、キリスト教徒だ、父親はシンガポールの金持ちだ、インドネシア共産党員の子供だ、といった話が次々に出され、死亡広告まで流された。温厚で感情を表に出さないジャワ人のジョコウィも相当に頭にきていた様子で、法的措置を関係機関へ求めたが、警察などの動きは予想以上に慎重だった。

他方、プラボウォへの批判は、彼の過去の人権侵害疑惑に集中した。とくに、1998年の活動家拉致事件やジャカルタ暴動への関与の疑いが題材となった。こちらは、本当の真実かどうかは別にして、軍のなかでプラボウォに対する措置が採られ、軍籍から離脱させられたという事実がある。プラボウォ側はその事実が嘘であって真実ではないと主張するが、彼がそのように軍から扱われたというのは、真実かどうかは別として、事実である。プラボウォ側はこれを誹謗・中傷とし、ジョコウィへの誹謗・中傷と同じレベルの話として、メディアなどで取り扱われるように仕向けた。

しかし、これは作り話と事実(真実かどうかは定かではない)との違いであって、誹謗・中傷の同列で扱えるものではない。だが、「中立」を装おうとするメディアは、それを並列で扱った。事実をねじ曲げて嘘話を捏造して流布させたプラボウォ側のほうがはるかに悪質と言わざるをえない。

5回のテレビ討論をすべて見た。内容的には中身の乏しい議論に終始したが、何か一つでも新しいことを言おうとするジョコウィ側と、テレビを通じて自分の強い指導者イメージを植え付けようとするプラボウォ側とがかなり対照的だった。そして、テレビ討論を見ている限りでは、プラボウォ側に考察の浅さと中身のなさが浮き彫りになり、果ては、ジョコウィ側の主張に同意を繰り返すことも度々だった。個々の議論は甲乙あるが、5回全体で見ると、ジョコウィ側の勝ちであった。

それでも、メディアはプラボウォの支持率が急速に上昇し、ジョコウィと僅差になったと報じる。筆者はそれが正直理解できなかった。プラボウォが選挙戦を通じて、なにか新しい画期的な主張をした記憶はない。「国富の漏れ」の話を繰り返すだけで、それを塞いでどのように効率的な政府を作るのか、政治マフィア間で山分けされないような仕組みをどう作るのか、彼は一言も話していなかった。それなのに、急速に支持率を上げているという。その理由は、ブラック・キャンペーンやネガティブ・キャンペーンを通じ、誹謗・中傷を広めることで、ジョコウィの支持率を落とす以外に理由は考えられなかった。加えて、一部ではかなり露骨にプラボウォ支持への強制や脅迫が行われているという話も伝わった。

もしこれでプラボウォが当選したら、プラボウォは嬉しいのだろうかと思った。相手を貶め、嘘八百の情報を流し、誹謗・中傷を繰り返した末に当選して、誇りを持てるのだろうか、と。プラボウォの周りには、「どんな手段を使ってでも勝てばいい」と公言する政治家も多数いる。彼らにとっては、自分の利益を守り、注ぎ込んだ資金の回収のためには、どうしても何が何でもプラボウォに勝ってもらわなければならないのである。そこには、モラルとか宗教上の教えなど、関係なくなっているのである。インドネシア人の友人は「この病気は相当に重い」と評した。

数日前から、一足早く海外で大統領選挙の投票が行われたが、その結果が伝わるなかで、風向きが大きく変わりだした。投票所の出口調査で、ほとんどの国でジョコウィが予想以上に票を取ったのである。その結果がメディアに乗り出すと、今度は、ほとんどの国でプラボウォが勝ったという出口調査結果が出回り始めた。ところが、面白いことに、プラボウォが勝ったという結果はいつの間にか消えてしまった。ジョコウィが勝ったという情報のほうがどうも正しかった様子である。

そうか、この手法でプラボウォの支持率上昇を演出しようとしたのかもしれない。若者たちが次々に面白い支持ビデオを連発するジョコウィ側に比べて、相変わらず、プラボウォのような強い指導者が必要、という以上の主張ができていない。ジョコウィ側のような自発的な勝手連の動きはほとんどなく、政党や組織が上から抑える旧来のやり方に終始している。ジョコウィの真似をしてプラボウォ側の選対も市場などへ出かけるが、相変わらずそこでカネを配るなど、住民目線ということがまるで分かっていない。

住民をコントロール可能と思ったか、住民が自発的に動くことを求めたか。プラボウォ側とジョコウィ側の違いを一言で言えば、そうなる。誹謗・中傷を信じてジョコウィに投票しないように仕向ける、ゆるければ政党や組織を使ってでも強制する、それがプラボウォ側のやり方だった。他方、ジョコウィ側は、政党や組織で動くところもあったが、それに加えて自発的な勝手連が勝手に支持活動を行うに任せた。

住民が受動から能動へ変わる、そんな動きが見え始めたジョコウィ側の選挙戦だった。そんな彼らの動きを、まだまだカネで動くインドネシアのメディアは残念ながら追い切れていない。

プラボウォが勝ってもジョコウィが勝っても、その先のインドネシアには課題が山積している。しかし、それをどう解決していくか、住民がどう関わっていくのか。そのアプローチに関しては両者に大きな違いがある。

大統領選挙投票日前夜。既得権益を守りたいエリートとそうではない非エリートの戦いは、メディアが伝えるよりも意外に大きな差がつきそうな予感がする。

さて、それが当たるのかどうか。

2014年6月2日月曜日

《お知らせ》大統領選挙に関する講演会(6月11日、ジャカルタ)

<インドネシア・ウォッチ講演会のお知らせ>

下記の通り、半年に一度、私が講師となり、インドネシアの政治経済状況を概観・分析する「インドネシア・ウォッチ講演会」を開催します。

皆様のご参加をお待ちしております。

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 大統領選挙と新政権の展望
 ~インドネシアの何が変わり、何が変わらないのか~

 講師 :松井和久(JACシニアアソシエイト)
 日時  : 2014年6月11日(水)16:30 – 18:30(受付開始 16:00)
 場所  : ホテル・サリパンパシフィック(ジャカルタ)
      Hotel Sari Pan Pacific, Jl. M.H. Thamrin No.6, Jakarta
 参加費: 600,000 ルピア + VAT 10 %

 お申し込み方法: 下記をご記入の上、メールにてお申し込みください。
 1)会社名 2)氏名および役職 3)メールアドレス 4)電話番号(できれば携帯番号)

 申込先: JACビジネスセンター(担当:田巻) tamaki@jac-bc.co.id

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インドネシアの大統領選挙は、プラボウォ=ハッタ組が「1」、ジョコウィ=カラ組が「2」と、候補者ペア番号も決まり、いよいよ6月3日から選挙運動が始まります。

巷のメディアによる「世論調査」では、ジョコウィ支持が底堅いものの伸びが鈍っているのに対して、プラボウォ支持が伸びていると評されています。現状では、まだジョコウィ支持がプラボウォ支持を上回っていますが、この選挙運動でどのような展開になっていくのか。ズバリ、どちらが勝つのか。

講演開始の直前まで、様々な動きが起こってくるものと見られます。講演では、その時点での最新状況を踏まえて、かつ、今回の選挙のインドネシアの政治史上の位置づけも意識しながら、今回の大統領選挙とその後のインドネシア政治・経済・社会について、私なりの見方をご披露したいと思います。

2014年5月8日木曜日

「偉大」と「フツー」との戦い

昔、インドネシアと関わり始めた頃、インドネシアに行く前に、「ヒゲを伸ばしたほうがよい」というアドバイスをもらったことがあった。イスラム教徒が多いから、という理由とともに、相手から軽く見られないため、という理由も聞いた。

ヒゲを伸ばすと、どうして相手から下に見られないのか、自分にはさっぱり理由が分からなかった。結局、今に至るまで、インドネシアでヒゲを伸ばさなければ、と思ったことはない。

世の中には、自分を身の丈よりも大きく見せるということに執心している人々がたくさんいる。いつ頃からだろうか。面接で自己アピールをするほうがよい、などと教えるようになったのは。

昔の職場の内部誌では、5月号に新入職員の自己紹介が載る。あれは入所して10年ぐらい経った頃だったろうか。「自分はこんなことができる」「自分はいい性格である」などと書かれている新入職員の自己紹介を読みながら、私自身がとても恥ずかしくなった。新入職員が皆、スーパーマン、スーパーウーマンに思えたからである。

私が入所した頃は、自己アピールをしすぎるのをあまり良しとはしなかった。むしろ、できないことをできない、能力がないことを能力がないと分かっていることのほうが重視された。自分のありのままを見つめ、自分を客観視できること、ある意味、控えめであることが美徳とされた。

あの時からずっと、私自身は自分の能力が大したことはないとずっと思ってきたし、今でも、謙遜でもなんでもなく、本当にそう思っている。自分はフツーのただの人間で、いろいろやりたいことはあるけれど、それが必ずできなければならない人間だとは到底思えない。

ただ、振り返ってみると、その時その時を自分なりに一生懸命やってきた結果、神様の思し召しなのか、何となく自分がこういうふうになりたいな、こういうふうにありたいな、と思う方向へそれとなく進んできているような気がする。単にラッキーだったのだ、と思う。

たとえば、インドネシアに滞在するなら、他の人が住んだことのない街に住みたいと思っていたら、マカッサルに住む機会が向こうからやってきた。スラバヤに住む機会が向こうからやってきた。いつか、肩書や所属ではない、自分の名前で仕事がしたいな、と漠然と思い続けていたら、何となくそれに近い状態になっていった。

目標を決めて計画的に何かを目指したり、そのために自分を他人にアピールしたり、身の丈よりも大きく見せたり、そうした戦略をどう取ったらいいか、意識的に考えたほうが良いよ、と助言してくれる人はいた。でも、それは何となく嫌だった。自分は、ただフツーにやってきたら、何となくこうなった、という感じなのである。

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話は変わるが、昨晩、Metro TVの「Najwaの眼」というトーク番組を観ていたら、ジャカルタ首都特別州のジョコウィ知事とアホック副知事が出演していた。それほどシリアスな内容ではなかったが、番組の進行役であるNajwaさんが質問しても、ジョコウィがボソボソっと答える一方、アホックはユーモアを交えながら楽しげに切り返していた。

この二人の答えで、一番多かったのが「フツーだよ」(biasa)という言葉だった。中身だけ見れば、ただのその辺のどこにでもいるおっさん二人が出演しているかのようだった。何を聞かれても「フツー」という答えが返ってくる。俺はすごいんだ、州知事としてえらいんだ、という雰囲気は微塵もなかった。

こんな二人が、今、インドネシアで最も注目される政治家なのである。

ジョコウィは、州知事の仕事は問題を解決することであり、現場に行って実態を見れば、解決策は意外に容易に見つかるとさえいう。大統領候補人気ナンバーワンのジョコウィは、ビジョンやミッションを前面に掲げることを控え、とにかく仕事をするということに徹したい様子である。

実際、インドネシアで、あるいは日本で、政治家が選挙戦で掲げた公約がどのぐらい達成されたかをきちんと評価してきただろうか。いや、任期が終わるときに、その政治家が当選の際に何を公約としたか、覚えている人がどれだけいるだろうか。

ジョコウィは、トーク番組での受け答えがスムーズにいかない、「弁舌さわやか」というには程遠い、実にフツーのおっさんであった。番組にはジョコウィの妻とアホックの妻も後半で出演したが、どこにでもいる感じのこれまたフツーのおばさんだった。「州知事になって何か変わったか」という問いにも、「とくに変わらない」「前と同じ」という朴訥な答え。見た感じは、偉そうに見える閣僚夫人や政府高官夫人とは全く異なるおばさんだった。

ジョコウィらは、こうしたフツーさを演じているだけ、という話もよく聞くのだが、番組を見る限りは、それを見抜くことはできなかった。実にフツーなのである。こんなフツーの人が、多様性の中の統一を国是とする広いインドネシアを治められるのか、と正直思ってしまう人も多いのではないか。

これまで、カリスマ性があり、秀でた力と能力を持つ偉大な政治家でなければ、この広くて多種多様なインドネシアを治めることはできない、と言われてきたし、我々もそう思い込んできた。ほとんどの政治家や政府高官は、いかに自分に能力があるか、そしてカネがあるか、を誇示して、子分を作り、自分に忠誠を誓う子分を従えながら、その親分になってきた。「俺に任せればすべてうまく行く」、そう思わせられる政治家が指導者と見なされてきた。

たとえ実態はそうでなくとも、忠誠を誓う子分たちの存在によって、政治家はそう演じ続けなければならなくなる。演じ続けているうちに、自分は偉大な存在だと思い始めるのかもしれない。特別扱いされて当然の存在だと思い始めるのかもしれない。

ある意味、大統領候補として名前の上がるプラボウォもアブリザル・バクリも、また、ジョコウィを大統領候補に担いだ闘争民主党党首のメガワティも、そんな従来型の、「偉大さ」を見せつけようとする政治家である、といえるかもしれない。

その「偉大さ」で勝負する従来型政治家の世界に今、「フツー」のジョコウィが引っ張りだされ、能力がないとかカリスマがないとか、叩かれようとしている。

しかし、インドネシアの社会が、そうした「偉大さ」をどう見せるかで勝負する従来型政治家の世界から離れ始めていることに、従来型政治家が気づいていない。

政治家が自分たちの私利私欲のために政治を利用してきたことを有権者は厳しく見つめている。政党ベースの総選挙(議会議員選挙)は従来型政治家の世界であり、有権者はやむなくその仕組みに付き合ったにすぎない。

しかし、人を選ぶ大統領選挙では、従来型政治家の世界だけで話が済むわけではない。従来型政治家は、制度的にそうなっているように、総選挙と大統領選挙を連続したものとしてみているが、有権者は両者をむしろ切り離し、人を選ぶ大統領選挙により関心を向けるだろう。そこには、「偉大さ」を見せようとする従来型政治家の世界への不信感を高めた多くの有権者が存在する。

インドネシアはもはや、「偉大な」指導者が王様のように治める国ではなくなったのである。下々の者を従わせ、その見返りに下々の者へ施しを与えるような、「偉大な」指導者を求めなくなったのである。多くの従来型政治家はそのことに気づかないか、気づいたとしても「偉大さ」を見せようとする性向を変えることがまだできない。

そうではなく、インドネシアは「フツー」に仕事をする指導者を求め始めているようにみえる。大統領は王様ではなく、マネージャーあるいは仕事人に変わったのかもしれない。

ジョコウィにしろ、アホックにしろ、スラバヤ市長のリスマにしろ、自分はすごいんだ、自分は出来るんだ、これだけやって偉いんだ、だから俺について来い、などと言っているのを今まで一度も見たことがない。彼らは二言目には「仕事」、そして仕事をしているのが偉いのでも何でもなくただ「フツー」と思っているのである。

自分のためではなく、他人のために仕事をする。カネや名誉や名前ではない。ジョコウィはソロ市長、ジャカルタ首都特別州知事と来て、今度は大統領選挙に出るわけで、はたから見ると野心家のように見えるかもしれないが、「どこで仕事をしても、人のためにやるのは同じだ」と番組でもボソボソっと言い切っていた。

大統領選挙への立候補も、ジョコウィ自身が「俺が俺が」と言ったのではなく、世論が強力に後押しし、闘争民主党が総選挙での得票を当て込んで立候補を促し、なんとなくジョコウィが出ざるをえない雰囲気が作られた、というのが本当のところのような気がする。もちろん、立候補するからには、当選を目指して動いていくのだろうけれども。

今回の大統領選挙は、実は「偉大」と「フツー」の戦いなのではないか。それは、インドネシア社会の大きな変化の一面を表してもいる。もしも、予想通りに「フツー」が勝利した後、まだ時間はかかるだろうが、インドネシアがどのように「フツー」の社会へ変わっていくのか、注目していきたい。

もっとも、インドネシア・ウォッチャーとしては、インドネシア特有の何かがなくなっていくかもしれないという意味で、面白さが減っていくということでもあるのだが。

2013年5月5日日曜日

貧乏人は政治家になれない?

政治にはカネがかかる。政治家になるにもカネがかかる。これは、日本でもインドネシアでもある意味、同じかもしれない。民主主義を標榜し、国民主権を掲げ、政治家は国民の代表なのだが、誰もが国民の代表になれるわけではない。

「貧乏人は政治家になれない」というのが現実である。

インドネシア闘争民主党(PDIP)幹部のPramono Anung国会議員の博士論文からの引用という数字が先週の『TEMPO』に載っていた。曰く、以下の人々が議員候補になるために必要な金額はおおよそ以下の通りである。

・アーティスト、スポーツマン、宗教家:2.5〜8億ルピア
・活動家・政党活動家:6〜14億ルピア
・官僚・ 退役軍・警察高官:10〜20億ルピア
・実業家・プロフェッショナル:15〜60億ルピア

100ルピア=1日本円とすれば、最低でも2500万円の資金を用意しないと、議員候補にはなれないということになる。この額は、日本の衆議院議員選挙に出る場合に用意する費用とほぼ同じ額になるようである。

そんな大金をインドネシアのフツーの人が用意できるものだろうか。いろいろ話を聞くが、家や土地や不動産や財産を売却し、親類・縁者から借金をして、苦労して、それでも資金が足りなくて、といった話を聞く。

だから、いったん選挙に出て、勝てば、その借金や費用の回収にどうしても励まざるを得ない。汚職への強い誘因にもなる。 そして負ければ、すべてを失い、貧困生活に陥る場合さえある。

政党は、資金調達のために、できるだけ金持ちの大企業家を取り込みたいのである。資金力が選挙での勝敗の鍵を握るのは明らかである。

それにしても、日本円で数千万円の住宅を購入するために住宅ローンを組み、勤勉に働きながらせっせと返済しているサラリーマンや、急上昇したとはいえ、1ヵ月2万円前後の最低賃金で家族を養っている人々から見れば、選挙に出て議員になるために積まれる大金は、全く別世界のものであろう。

ここに挙げられた政治家になるために必要な資金額が本当ならば、普通に真面目にコツコツ働いてお金を貯めて政治家になる、ということはもはや現実的に困難である。普通の国民が政治家の世界を別世界と感じ、きらびやかなセレブリティの世界と同一視し、政治家に対する期待も関心も失う理由となるだろう。

余談だが、官僚や軍人・警察官になるためには、試験の成績だけでなく、いくらカネを払えるかが暗黙の条件になっており、採用されるためには、ここでも大金を払わなければならない。そのために、田畑や家や家畜や財産を売り払って資金を作っている人々が相当数いるのである。

貧乏人が政治家になれない国、それでも民主国家、共和国、である。

2013年3月14日木曜日

西ジャワ州知事選挙結果

3月3日、西ジャワ州選挙委員会は、2月24日に投票が行われた西ジャワ州知事選挙で現職アフマド・ヘリヤワン=デディ・ミズワル組が当選、と発表した。任期は2013〜2018年の5年間。

得票結果は以下のとおり(カッコ内は得票率)。
 
Ahmad Heryawan - Deddy Mizwar : 651万5313票(32.39%)
前州知事+俳優。福祉正義党(PKS)、開発統一党(PPP)、ハヌラ党推薦。

Rieke Diah Pitaloka - Teten Masduki : 571万4997票 (28,41%)
闘争民主党(PDIP)国会議員・女優+人権活動家。PDIP推薦。

Dede Yusuf - Lex Laksamana : 507万7522票 (25,24%)
前州副知事・俳優+州官房長。民主党推薦。

Irianto MS Syafiuddin (Yance) - Tatang F Hakim : 244万8358票 (12,17%)
インドラマユ県知事・ゴルカル党州支部長+元タシクマラヤ県知事。ゴルカル党推薦。

Dikdik Arif Mansur - Cecep N Suryana Toyib : 35万9233票(1,79%)
前南スマトラ州警察長官+前ランプン州警察長官。独立候補。

各県・市ごとに優勢だった候補は以下のとおり。

バンドン(Bandung)県:Ahmad Heryawan - Dedy Mizwar
バンドン(Bandung)市:Ahmad Heryawan - Dedy Mizwar
西バンドン(Bandung Barat)県:Ahmad Heryawan - Dedy Mizwar
ブカシ(Bekasi)県:Rieke Diah Pitaloka - Teten Masduki
ブカシ(Bekasi)市:Ahmad Heryawan - Dedy Mizwar
ボゴール(Bogor)県:Ahmad Heryawan - Dedy Mizwar
ボゴール(Bogor)市:Ahmad Heryawan - Dedy Mizwar
チアミス(Ciamis)県:Dede Yusuf - Lex Laksamana
チアンジュール(Cianjur)県: Dede Yusuf - Lex Laksamana
チレボン(Cirebon)県:Rieke Diah Pitaloka - Teten Masduki
チレボン(Cirebon)市:Rieke Diah Pitaloka - Teten Masduki
デポック(Depok)市:Ahmad Heryawan - Dedy Mizwar
インドラマユ(Indramayu)県: Irianto MS Syafiuddin (Yance) - Tatang F Hakim
カラワン(Karawang)県:Rieke Diah Pitaloka - Teten Masduki
プルワカルタ(Purwakarta)県:Ahmad Heryawan - Dedy Mizwar
スバン(Subang)県:Rieke Diah Pitaloka - Teten Masduki
スカブミ(Sukabumi)県:Ahmad Heryawan - Dedy Mizwar
スカブミ(Sukabumi)市:Ahmad Heryawan - Dedy Mizwar
スメダン(Sumedang)県:Dede Yusuf - Lex Laksamana
タシクマラヤ(Tasikmalaya)県:Ahmad Heryawan - Dedy Mizwar
タシクマラヤ(Tasikmalaya)市:Ahmad Heryawan - Dedy Mizwar

上の結果から、工業団地を数多く抱えるブカシ県、カラワン県でRieke Diah Pitaloka - Teten Masduki組が優勢であったことが注目される。Rieke Diah Pitalokaは、金属労連(FSPMI)などの労働者デモを積極的に支援してきた国会議員であり、労働組合が労働者の票をそれなりに固くまとめる力を持っていることが示されたのである。

投票における労働組合の統制が今後も効き続けるのか、Rieke Diah Pitalokaが出馬した西ジャワ州知事選挙だけで終わるのか、2014年総選挙を控えて、注目すべき点の一つである。