2014年9月7日日曜日

新メールアドレスのお知らせ

9月3日にジャカルタから出国し、タイガーエアウェイズ+スクートという、シンガポール経由のLCC乗り継ぎで4日昼に帰国した。スクートは、さすがSQのLCC、という感じだった。

今回のLCC乗り継ぎはなかなか良かった。コストパフォーマンスで考えたら、エアアジアの乗り継ぎのオルターナティブとして十分に使える。

そして、インドネシアでお世話になったスポンサーとの契約が終了し、9月4日からフリーとなった。当面、個人事業主としての屋号「松井グローカル」という名前で活動を行なっていく。

たまたま最近、私のメールアドレスからスパムメールが送られるということがあった。もしも、matsui01@gmail.comを発信元とする怪しげなメールがあれば、すぐに削除していただきたい。この場を借りて、ご迷惑をお掛けしたことを深くお詫び申し上げます。

こうしたこともあり、メールアドレスを以下へ変えることにしたので、変更していただければ幸いです。

 matsui@matsui-glocal.com

独自ドメインを取り、「松井グローカル」の名前で、近いうちに個人コンサルタント会社として法人化することを検討している。

東京の自宅には今回、わずか5日間の滞在。でも、パフェも、ウナギも、日本そばも、冷やし中華も、刺し身も、秋刀魚の塩焼きもしっかり食べた。ぎゅっと凝縮したためか、ちょっと過剰摂取の気配はあるが・・・。

明日(9月8日)深夜のエアアジアで羽田からジャカルタへ発ち、10日夜にジャカルタからスラバヤへ戻る。

次回の日本への帰国は10月3日の予定で、10〜14日程度の滞在を考えている。

2014年8月29日金曜日

旅をするということ

今、母校の大学生によるスタディツアーのお供をしている。ジャカルタ、スラバヤ、マカッサル、西スラウェシ州ポレワリ、と移動する、学生にとってはけっこうハードかつ長期のツアーになった。

同行しながら、彼らがどんどん変わっていく姿を見るのが嬉しい。最初は日本から持ってきた常識や固定概念でインドネシアを見ていたのが、数日もすると、現場の視座を意識するようになってくる。現場を歩きながら、自分たちの持っていた先入観やイメージがことごとく覆っていく。その驚きを彼らの生の声で聞きながら、旅は続く。

感受性の強い彼らだからこそ、良いもの・悪いもの、好きなもの・嫌いなもの、様々なものを吸収していく。

私の役割は、彼らがただ単にそれを吸収するのではなく、現場から発信される様々な情報を、自分の頭で一生懸命に考え、それをつなげて自分なりの新たな考えを作る作業に適切なヒントや気づきを彼らへ促すことである。そう、静かに、ファシリテーションをしているのである。

私自身も、こうしたツアーに同行することで、新たなヒントや気づきを得ている。常に新しい刺激を求め、思考回路をリフレッシュさせながら、物事を批判的かつ建設的に見ていこうとすることで、自分が生きていることを実感するのである。

旅とはまた、学びである。自分の常識や思考を研ぎ澄ませるためには、新たなものを吸収し、学びを続けていく。自分にとって、それはいつどこでも行なっていきたいものなのだが、旅はまさにその刺激を得られる最たるものである。そして、それは自分だけのものではなく、旅で出会う様々な人々との交わりの中で、当人たちが意識するとしないとを問わず、新しい学びをあちこちに引き起こしているような気がする。

旅は出会いを引き起こす。旅は自分が動いていることでもある。動いていると、それに触発されて別の何かが絡まりながら新たに動き出す。そして、新しいつながりが生まれ、新しい何かが生まれてくる、と期待できる。

これでいいのだ。もう全部分かった。偉い人の言うとおりにすればよい。旅は、そんな言葉を打ち消す。変わらなければならないのは他人ではなく、自分なのだということを自覚できる。

自分たちの大事な世界を守るためには、「高い塀」や「ガードマン」に囲まれたその世界に閉じこもっているだけでは十分ではない。新しい世界を知り、そこと知り合うことで、自分たちを受け入れてくれる世界を広げていく。それが本当に広がって定着したときに、「高い塀」や「ガードマン」は何の意味も持たなくなる。

旅ができることに感謝し、自分の知らない世界を知り、新しい自分を作り続けるために、今日も旅を続けていく。

2014年8月25日月曜日

皆様へのご報告

インドネシアでのスポンサーであるJACビジネスセンターとの契約が9月3日で終了することになりました。これに伴い、「JACシニアアソシエイト」としての活動は9月3日までとなります。

皆様にはこれまで大変お世話になり、誠にありがとうございました。

なお、9月3日にいったんインドネシアを離れますが、9月9日に戻ってくる予定です。今後も、基本的に、スラバヤを中心としたインドネシアでの活動を当面、継続したいと思っています。

とくに、「在スラバヤJETRO中小企業海外展開現地支援プラットフォーム・コーディネーター」として、インドネシアでビジネスを行う日本の中小企業のサポート活動を来年3月まで努めます。

また、独立コンサルタント・ファシリテーター・カタリストとして、インドネシアおよび日本などでの講演、研修講師、コンサルティングなどの活動も、引き続き行なっていく予定です。ご希望の方は、直接、私宛にメール等でご連絡いただければ幸いです。

今回のJACビジネスセンターとの契約終了に伴い、「JACビジネスセンターのインドネシア情報ニュースレター」(無料版・有料版)の配信も本日号で終了とさせていただきました。長らくのご愛読をありがとうございました。

なお、ニュースレターの代わりに、インドネシアの最新情報と私のエッセイを中身とする有料メルマガの創刊を検討中です。詳細は別途、ブログ、フェイスブック、ツイッター、メール等でお知らせする予定ですので、もうしばらくお待ちいただければ幸いです。また、ご希望の方は個別にメール等でお知らせください。

以上、ご報告でした。

2014年8月20日水曜日

アフリカ雑感

今回、タンザニア、ルワンダ、ウガンダを旅してきて思ったのは、まるでインドネシアの15〜20年前のような感じ、ということだった。

どの国も長期政権で、反政府勢力を力で押さえ込んでいる。その合い間に、経済を発展させ、国民を豊かにさせる。国民が成熟するのにつれ、近い将来に、大統領を公正な民主的な選挙で選ぶことをすでに想定しているようだった。

すでに、民主的な大統領選挙を3回実施したインドネシアは、そんな彼らよりもずいぶん先を歩いているようにも見えるが、今でも、ジャカルタの憲法裁判所前の騒ぎのように、嘘や陰謀で情報を操作し、力づくで民主的な結果を変えてしまおうという勢力がまだ存在する。

自分たちの主張が聞き届けられないとなると、直接の利害関係にない外国や特定の種族を敵視して、論点をずらしてまで自分たちの存在を多々鼓舞するような、非生産的なことを今だにやっている人々がいる。万が一、こうした勢力が権力を手にするようなことがあれば、インドネシアは一気に20年前へ戻っていってしまうだろう。民主化とは、普段の努力によって維持されるものであり、いったん間違えると、簡単に逆戻りしてしまう繊細なものでもある。

それは、種族の違いを無理やり強調し、自分たちを守るために相手を攻撃し、簡単に民主化への芽を摘み取ってきたこれら東アフリカ3国を見ているとよく分かる。その意味で、インドネシアは今のゴタゴタにきっちりケリをつけ、アフリカの国々に民主主義の定着を身をもって教えられる立場を確立しなければならない。

それはそうと、アフリカの旅でもう一つ印象的だったのは、アフリカの人々は意外にきちんとしている、ということだった。真面目といってもよい。ホテルの設備などで、基本的なアメニティや設備がしっかりしている。給仕の振る舞いもそつがなく、無駄にブラブラしているようなところがない。インドネシアでは、目に見えないからといって手を抜くことが頻繁にあるが、そういう素振りをあまり見かけなかった。

インドネシアからアフリカへ出かけて、そろそろ日本=インドネシア、日本=アフリカという形ではなく、インドネシア=アフリカという関係を促していける時代が来ているのではないかという予感がした。それは、ともすると日本に見られがちな上から目線ではなく、インドネシアとアフリカとが対等な立場で新しい何かを作り始めていく、という関係を構築できるのではないかと感じた。

実際、東アフリカ経済におけるインド系、パキスタン系、アラブ系商人の活躍は目を見張った。ルワンダのキガリで見た「エキスポ」には、パキスタン・コーナーやエジプト・コーナーが広く取ってあり、盛んに商売をしていた。中古車輸入・販売を手がけているのは、多くがパキスタン系で、おそらく彼らが日本からの中古車輸出をも手がけているのだろう。我々の知らないところで、彼らはすでに東アフリカ経済にとって不可欠な存在となっている。

第1回アジア・アフリカ会議は1955年、インドネシアのバンドンで開かれた。しかしそれ以降、インドネシアはアフリカからずっと遠い存在になってしまったような気がする。

インドネシアでアフリカの話になれば、ナイジェリア人が麻薬や覚醒剤を持ち込むといった話になるし、タクシーの運転手は、体臭がきついといってアフリカ人の乗客を毛嫌いする。あまりいいイメージで語られることはない。しかし、実際にインドネシアの人々がアフリカに行って人々と交われば、こうしたイメージは変わってくるだろう。

相手を知るということから相互理解と尊敬が生まれる。そして自分自身を深く知ることも重要である。忙しい、時間がないと言いながら、物事をインスタントに考えてしまう、知識が単なるレッテル貼りになってしまう、空気が支配しているとうそぶく世の中を、もう一度当たり前の普通の世の中へ戻していきたい。

  あなたが私のことを知り、
  あなたが本当にあなた自身のことを知っていたならば、
  あなたは私を殺すことなどなかったはずなのに。
  If you knew me
  and you really knew yourself,
  you would not have killed me.

キガリのジェノサイド記念館の壁に貼られたこの言葉を見ながら、人が人をもっとよりよく知り合える機会づくりをしたい、人と人をもっとつなげる人になりたい、そのために、自分自身を常に開いていきたい。そう、真に思った。

2014年8月16日土曜日

ウガンダでの1週間(3)サファリとナイル

ウガンダではしっかり観光もした。北部のグルからカンパラへ戻る前に、途中のマーチソン滝国立公園でボート・サファリとゲーム・ドライブをした。

サファリには「人間は野生動物よりも上だ」という臭いがして、偏見というかあまりいい印象を持っていなかったのだが、実際に行ってみると、これがなかなかの面白さだった。

宿泊した「ブアナ・テンボ・ロッジ」は国立公園の外だが、ここまで野生のゾウがやってくることがあるのだという。部屋には「ゾウがやってくることがありますが、そのときには部屋にこもって静かに彼らが居なくなるのを待ちましょう」という注意書きが置かれていた。ちなみにテンボとはスワヒリ語でゾウのことらしい。

ロッジは丘の上にあり、ナイル川を見下ろす眺望が美しい。


実際、ロッジから国立公園の入口へ向かう間に、いきなりゾウに出くわした。


8月5日は、船に乗ってナイル川をマーチソン滝まで上るボート・サファリに参加した。川岸に集まるバッファローなどの動物や水中にいるカバなどの動物、ホワイト・イーグルを始めとする様々な鳥を見ることができた。



一番奥のマーチソン滝の近くまで来て、折り返すコースである。


8月6日は、朝6時にロッジを出発して、ゲーム・ドライブ。陸上でのサファリである。まずは、サバンナに昇り始めた朝日を拝む。


ゾウの集団が木をなぎ倒したため、道が通れなくなっていた。やむをえず、草原の中を迂回する。


ウガンダの国獣であるウガンダ・コープという鹿の仲間やジャクソンなどが草原に無数にいる。

とても運よく、ライオンにも出会えた。すれ違うサファリの車が皆、「ライオンがどこにいたか」と私の運転手に尋ねてくる。雌ライオンは至近距離で見えたが、雄ライオンは離れた茂みのなかでじっとしていた。


キリンにも遭遇。


でも、圧巻は、前日に船で近くまで行ったマーチソン滝だった。6日は滝の上から見たのだが、その水量の迫力には度肝を抜かれた。





そして翌7日には、ジンジャへ行き、ビクトリア湖とナイル川源流の境目に立ってきた。


ナイル川源流には標識が立っているが、そこへ行くには、お土産物屋さんに寄らなければならないのだった。

ナイル川源流へボートで向かう際、30分で100米ドルとふっかけられた。ナイル川源流は目と鼻の先。1時間で15万シリング(約60米ドル)ぐらいが相場と聞いていたので、30分で10万シリング(約40米ドル)と値切った結果、30分11万シリングで行ってくれた。

しかし、船頭がとてもサービス熱心な人で、船の上で「あと4万シリング出してくれたら、養魚場などを2時間でまわってあげる」と言われたが、丁重に断り、結局、1時間半乗って、当初の11万シリング及び船頭へのチップとして2万シリングを払って終わらせた。

あとで聞いたら、10人ぐらいの団体でいくと、一人1万シリングぐらいで1時間なのだそうだ。

古い建物の残るジンジャの街も堪能できた。



ウガンダでの1週間(2)シアーナッツ・オイル

8月4日、KNさんが活動する北部のグルから車で約1時間半の村へ行き、シアーナッツ・オイルを作る農家Bさん宅を訪問した。

これがシアーナッツとそれが実る木である。



シアーナッツ・オイルづくりは、手間隙かかる作業である。まず、シアーナッツを集めて火にかけ、灰をかけて熱した後、それを土の上に落として冷ます。


冷ましたシアーナッツを網に入れ、篩(ふるい)のようにして灰や砂などを取り除く。


これらの作業のほとんどは、Bさんの奥さんが執り行う。Bさんは、ソルガムの「ビール」を飲みながらその様子を見守る。私も午前中からそれに付き合わされて飲んだ。


ようやくBさんの出番。シアーナッツを臼に入れ、棒で上下に叩きながら潰す。


潰してドロドロになったシアーナッツを容器に移し、それを石の上に出して殻などを丁寧に濾す。


濾したドロドロのシアーナッツ液を鍋に入れ、再び火にかける。そして、煮詰まって、油になってくる。



最後に、これを濾して、ペットボトルに詰めて完成である。



Bさん宅では、豪勢な昼食も振る舞われた。ご飯とスパゲッティ(ここではマカロニと呼んでいた)と一緒に食べる。そして、これらの料理に、シアーナッツ・オイルがたっぷりとかけられた。こってり感を満喫する。


昼食の後、シアーナッツ・オイルを1瓶5,000シリング(約200円)で買った。それをインドネシアまで持って帰ってきたが、何にどう使えばよいのか。誰か使用法をご存知の方がいれば、教えてほしい。

最後に、Bさんの家とその周辺を写真に撮ってくれと言われた。ルワンダでもそうだったが、1軒の家の中がいくつもの部屋に分かれているのではなく、夫婦の家、子供の家、などと小さな円形の家の形で分かれていた。周辺には、キャッサバ、バナナなどが植えられていた。


土の上には、小さなソーラーパネルが置かれていた。電気のないこの村で、携帯電話の充電に使っているのだった。


Bさんは、医師も看護師もいないこの村に病院を作りたいと話してくれた。「土地はいっぱいある。日本から誰か来て病院を作ってくれないか」という。

病院はないけれど、こんな小さな村にも酒の飲めるバーがある。酒を飲まない人が多数のインドネシアの村の風景からすると、ちょっと違和感があった。

2014年8月12日火曜日

ウガンダでの1週間(1)

ウガンダには8月2〜9日の8日間滞在した。今回は、ウガンダ在住の友人KNさんとそのご家族に何から何までお世話になった。

まず、入国の際に、50米ドルを支払って到着時査証をとる。このときに、係官から「どうしてケニア、ウガンダ、ルワンダ3ヵ国共通ビザを取らなかったんだ?普通はそれを取ってくるもんだ」というので、「ケニアに寄らないし・・・」とか色々説明していたら、「ちょっと訊いてくる!」といって退席し、5分後にOKといって到着時査証をパスポートに貼り付けてくれた。

KNさんの運転手がエンテベ空港に迎えに来てくれ、カンパラのホテルまで送ってくれた。エンテベからカンパラまでは一本道で、ときには渋滞で2〜3時間もかかると聞いていたが、途中で渋滞したものの、運良く1時間ちょっとでホテルに到着した。

カンパラの宿はシャングリラ・ホテル。旧名は上海ホテルという。レセプションは階段を上がった外にある机一つ。「クレジットカードの読み取り機がちゃんと動くかなあ?」などという状態で、絶対に「なんちゃってシャングリラ」と信じていた。実は、本当にシャングリラ系列だと別の知人に教えてもらった。

このホテル、見た目以上に基本がしっかりできていて、シャワーの温度調節に難があるほかは、インターネット接続をはじめ、部屋の設備やアメニティにも手抜きがなく、ランドリーはタダという、なかなか居心地の良いホテルだった。

かつての職場の先輩アフリカ研究者の定宿だったそうであり、日本人客の利用も多いようで、たくさんの日本語の書籍が置いてあった。

朝食はお庭で。小さい傾斜のある庭だが、これがなかなか素敵な空間である。


ウガンダに来て感じたのは、人々の表情が豊かで、融通がきくゆるさだった。タンザニアやルワンダよりもずっと英語が通じるせいか、ホテルの従業員に冗談を言ったり微笑んだりすると、ちゃんと反応してくれる。ちょっと、インドネシアに似た感じだった。

融通がきくといえば、カンパラから車で4時間のグルという都市へ行ったときのこと。その日は8月3日(日)で、夕方6時頃、無線Wifiルーター用のSIMを探していた。ようやく見つけた店には鍵がかかっており、閉店の様子。でも、まだ中に職員がいる。

ダメもとでノックすると、何と職員がやってきて鍵を外し、「中に入れ」という。こうして、めでたくSIMをゲットできた。ある人は「きっとその日の唯一の売り上げだったかもよ」と言っていた。

ウガンダでは、幹線道路のいくつかのポイントに交通警察が張っていて、車を止めてはチェックする。とくに、シートベルト着用は厳しく見られる。筆者はそれに気づかず、シートベルトをしないで後部座席に座っていたのだが、交通警察が鬼の子を取ったようにニコニコしながら「はい、罰金でーす」と近寄ってきた。

「ウガンダに昨日来たばかりなんですー」と言い訳しても、「イイですかあ?この表にシートベルト未着用は2万シリング(約800円)と書いてありますねえ。払ってくださいねえ」と言い寄る。払ってあげたら、とても嬉しそうだった。ウガンダは汚職がひどいらしく、なかでも警察はその筆頭。インドネシアもそうだったなと思いだした。

タンザニアやルワンダと同様、ウガンダで道路を走る車はほぼ9割以上が日本車、しかも中古車である。トヨタが圧倒的に多い。ルワンダは左ハンドルだが、それでも日本車が多かった。日本を始めとして、世界中から日本車の中古車がここに集まってくる。10年程度のものは、ここでは新車扱いなのだという。

それらの中古車には、かつて使われていた会社や組織の名前がついたまま走っているものが少なくない。加えて、いったん消したものの、新たに怪しげな漢字を施した中古車もみかける。何と書いてあるのか、解読不能だが、おそらく、漢字らしきものがあると、高く売れるのかもしれない。


中古車がほぼすべてのこの国では、おそらく今後、自動車を作るということは起こらないだろう。これらの国が中古車を輸入してくれるから、日本などでは安心して車の買い替えが行えるのだと思った。そして今後は、タイやインドネシアなどからの中古車輸入へシフトしていくのではないか。

これらの国で日本からの中古車が使われた後、どうなるのかというと、ボディは鉄板として使われ、その他部品は売買される。ここが中古車の最終目的地のようである。