20数年ぶりの再会だった。3月9日の昼、インドネシア大学大学院時代のクラスメイトと一緒に昼食した。我々が学んだのは1990〜1992年、インドネシア大学の学部が皆デポックへ移転した後、元々のサレンバ・キャンパスであった。クラスメイトは私を入れて6名、今回は男2名を除き、女性陣3名との再会となった。
各人それぞれ、この20数年の間に様々な出来事を経験していた。10年近く闘病生活をしてきた夫が亡くなった後、家を売り、子供の家を渡り歩きながら細々と生活しているTさん。長年の独身生活に終止符を打って結婚したのに結局は離婚してしまったAさん。結婚10数年目にしてようやく子供を授かることのできたFさん。きっと、今回話せなかった経験談がまだまだたくさんあるのだろう。
でも、20年ぶりに会っても、大学院時代と全く同じ、とにかく彼女らはよくしゃべる。しゃべっているうちに元気になってくるかのように。
話は個々人の20年を振り返るところから、様々なインドネシア人有名人の批評にまで及んだ。我々が教わった先生のなかには、現在の中銀総裁、過去の調整大臣など蒼々たる方々がいる。
そんななかの一人にTH先生がいた。我々が習っていた頃、彼は将来を嘱望された新進気鋭のエコノミストだった。頭脳明晰、しかし人柄は温厚で、我々はその実力を尊敬していた。順調にいけば、今頃は大臣になっていてもおかしくないほどの人物である。
TH氏はその後、インドネシア大学から某有力省庁の課長クラスへ抜擢され、部長クラスへ昇進するはずだった。私もそこまでは知っていた。しかし、忽然と彼の名前が世の中から消えてしまった。ずっとなぜなのだろうと思っていた。
ゴシップ好きのクラスメイトから話を聞いて理解した。TH氏は、何と重婚が発覚したのである。高級官僚でもある最初の奥さんがそれを暴露してしまった。そのため、TH氏は役所にいることができなくなってしまったのである。
インドネシア大学という外部から省庁に入った外様が部長に昇格する、というのを生え抜きは苦々しく思っていたことだろう。部長レースはそれなりに激しい。クラスメイト曰く、部長レースからTH氏を蹴落とすために、ライバルが女を使ってTH氏を陥れたのではないか、という推理だった。なぜなら、実直なTH氏ならきっと簡単にだまされてしまいそうだから、である。やりかねないかもしれない、と思った。
TH氏は今、ひっそりと古巣のインドネシア大学経済学部へ戻って役職なしの講師を務めている。すでにケチがついてしまっているため、役職には就けない。「今の中銀総裁より何倍も頭が切れたよね」とみんなでうなずいた。きっと、TH氏のような人がインドネシアには何人もいるのだろう。
今回の再会、すべては私がWhatsAppというメッセンジャーソフトを携帯電話にインストールしたことから始まった。それにAさんが反応してメッセージを送ってきて、急に「会おう」という話になったのである。次はいつ会えるだろうか。「10年後なんて言わないでね」といって彼女らと別れた。
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