2013年3月7日木曜日

ティニさんの自立を妨げていたもの

マカッサルで借りている家の契約が2013年3月31日で切れる。Balla Idjo(緑の館)と名付けたこの家に私が滞在した時間は長くない。

この家を借りていた2年の間に、様々な方々がここに集い、料理名人のお手伝いティニさんの食事を堪能し、語らい、そして宿泊していただいた。主のいない家で、少しでもそうした機能が果たせたことがちょっと嬉しい。

プール付き、寝室が4つ、作業用の部屋が1つ、という広い家。ゆったりと佇めるスペースがいくつもあるこの家は、利用者が思い思いの時間をそれぞれのスタイルで過ごすのに格好の家だった。多少古いがとても居心地のよい家なのだが、住宅手当があるならまだしも、それもなく、わずかな収入で何とかやりくりしている現状では、残念ではあるが、自分が住むわけでもないこの家を借り続けることは困難、と判断した。

私は、自分の「故郷」であるマカッサルに自分や家族の居場所をずっと持ち続けたいと思ってきた。その思いは変わっていない。

しかし、物理的に家を借り続ける、ということは、誰かに管理をお願いし続けるということになる。現に、今もティニさん一家に住み込みで私の借家に住んでもらっている。彼女との付き合いはもう17年にもなろうとしている。彼女が所帯を構えてからでも10年以上が経つ。

過去に任期を終えてマカッサルを去るとき、いつもティニさんの自立を願っていた。ワルンや小食堂など、自ら小さなビジネスを始めて、独り立ちすることを願っていた。しかし、彼女はまだ私のお手伝いのままだ。主のいない家を健気に守ってくれている。

そうなのだ。彼女の自立を願っているはずの私自身が、彼女の自立を妨げていたのだ。

息子が小学校高学年になり、クラスでも1・2位を争う優秀な子に育って、これまでずっと潜むように生きてきたティニさんにも将来への希望が現れてきた。自分は小学校にも満足に行けなかったのに、びっくりするほどの教育ママぶりを発揮していた彼女。かつて、再度マカッサルに赴任したときに、貧困のどん底にあえいでいた彼女を救出し、私のお手伝いとして呼び戻したこともあった。そんな彼女が今ようやく、普通の家庭の幸せを見つけられるところに来たことがうれしい。

ティニさんは、自分の家族3人が身の丈にあった生活のできる質素な家を見つけてきていた。そして、私から離れて、そこに3人で住むことを望んでいたことを知った。やっと、やっと、今度こそ、本当に私から離れることができそうだ。

インドネシア料理、西洋料理、中華料理、日本料理(とくにトンカツ、酢豚、海老フライは絶品)の得意なティニさんの能力を、生かしてくれるところはないだろうか。

借家に残った机、椅子、本棚、テーブルなどは、マカッサルの友人たちに引き取ってもらう準備を始めた。インドネシア語書籍は、マカッサルの仲間のやっている簡易図書館に寄贈し、日本語書籍は自分の手元に戻そうと思う。日本語版映画DVDは、地元大学の日本文学科が欲しいといってきた。何とか3月中に片付きそうな気配である。

この借家をインドネシア人、日本人、その他様々な人々が交差する場にしたい、と思っていた。その意志を尊重してくれる大家が、何とかできないものか、日本文化を伝える場所のようなものができないか、などと考えてくれているようだが、どうなるだろうか。

3月末までまだ時間がある。できることなら私も何かしたい。もし、何かアイディアのある方は、私までお寄せいただければ幸いである。

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