昨晩(3/20)、キャセイ航空で東京から香港経由でスラバヤへ戻った。到着したのは、スラバヤ・ジュアンダ国際空港第2ターミナル。昔の空港をリノベーションして、新空港としたものである。
今回は、国際線到着では初めての利用になる。イミグレは空いていて、すぐ自分の番に。ところが、「別室へ行け」と言われる。何か問題があったのか。
別室にはいやな思い出がある。インドネシアへ初めて入国した1985年8月。インドネシアがビザなしで入国できるようになったはずなのだが、情報がはっきりしない。オドオドしながら、パスポートを手に並んでいたら、係員が「こっちへ来い」と別室に連れて行かれた。椅子に腰掛けると、係員が「ドラール、ドラール」という。最初は何を言っているのか分からなかったが、インドネシア語でドルと発音しているのだった。当時、インドネシア語がまだできなかったので、「ノーノー」というと、私に財布を出せと命じる。恐る恐る財布を出すと、財布の中のシンガポールで換金してきたルピアの束から1万ルピアを勝手に抜き出し、「オッケー」といって入国スタンプを押して、開放された。
それが、私の最初のインドネシアだった。聞かされていたとおり、なんて汚い国だとそのときは思った。出迎えに来ていた私のインドネシア語の先生が、彼の家のある西ジャワ州チマヒに着くまでずっと謝っていた。その後の、彼のカンポンでの様々な楽しい思い出がなかったら、私はインドネシアが大嫌いになっていたことだろう。
今回も、そのことが頭をよぎった。が、よく聞いてみると、外国人居住者用の出入国スタンプがイミグレカウンターにないという。あり得ないと思った。またダマされて金銭を要求されるのか。
別室の前へ行っても警戒は解かなかった。係員が私のパスポートを持って中に入り、しばらくすると、出てきた。入国スタンプが押されていた。
その後、荷物を受け取り、税関へ。ジャカルタでは手荷物だけをX線に通すのだが、なぜかスラバヤのここでは、すべての荷物を通すのだった。
空港に到着し、税関を抜けて外に出るまで、わずか20分。空いているということもあるが、かなり早かった。外に出る手前にタクシーカウンターがあり、そこでチケットを買って、タクシー乗り場へ。
新車のタクシーは匂いがきつく、運転も荒かったので、久々に酔いそうになった。
ともあれ、スラバヤの自宅に無事、夜9時すぎに到着。寝る前に短い原稿を1本書こうと思ったが、やはり睡魔には勝てず、今朝、朝一で書き上げた。
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