日本の各所での講演等を終えて、7月19日にスラバヤへ戻った。
今回は、新設のガルーダ・インドネシア航空の羽田夜0:30発のジャカルタ行きに乗り、ジャカルタでトランジットしてから、スラバヤへ戻った。この便は、全日空とのコードシェア便でもある。
羽田空港では、三連休をバリなどで過ごすと思しき家族連れやサーフボードを抱えた若者たちが並んでおり、インドネシア人らしき客は数人だけだった。何となく場違いな雰囲気を感じつつ、チェックイン。
すると、こちらから何もお願いしていないのに、ビジネス・クラスへアップグレードしてくれるという。ただし、席のみで、食事はエコノミー、という話。ガルーダ・マイルズのゴールドEC+会員だからなのかもしれない。
夜行便で、フラットシートになるビジネス・クラスへのアップグレードは、本当にラッキー以外の何物でもない。搭乗すると、2つに分かれたビジネス・クラスの客室には、私以外に乗客は一人しかいない。なのに、わざわざその乗客と隣どおしに座らされている。
ほどなく、スチュワーデスがやってきて、「空いているので、どこでもお好きな席へどうぞ」と言ってくる。そこで、いびきでもかいたら隣人に迷惑だろうと思い、他の席へ移動した。
夜食をお断りし、さっそく、フラットシートにして寝る。これはよい。エコノミーのディスカウントなのに、夜行便でフラットシートとは。夜行便にしてはかなりしっかり眠ることができた。
ジャカルタ到着の2時間前に朝食を用意すると言っていたが、持ってきてくれたのは1時間半前だった。乗客が少なく、寝ている私をギリギリまで起こさずに待ってくれたということか。トイレに行こうとすると、別のビジネス・クラスの席で、スチュワーデスがイスラム教の礼拝をしていた。
朝食は期待していなかった。当然、エコノミーと同じものが出るのだろうと思っていた。ところが、食事もビジネス・クラスのものだった。以前、ジャカルタの「父」を日本へ連れて行ったときに、ガルーダ・インドネシアのビジネス・クラスの食事に感嘆したのだが、それにまた出会えるとは。
朝食は、まず、ちょっと凝ったお粥。前回のタピオカ粥のほうが数段上。
次はオムレツ。添えられたポテトは今回のほうが美味しかった。
最後は、イチゴとクリームのデザート。甘い。レモングラスらしき葉っぱが真ん中に立っているのがおしゃれ、なのかな?
慌ただしく着陸準備に入り、午前6時に無事ジャカルタ到着。朝早いためか、到着時査証(Visa on Arrival)のカウンターも長期一時滞在許可証(KITAS)保持者向けのカウンターも閉まっていて、係員がいない。到着時査証が必要な乗客は戸惑っている様子。
KITAS保持者の私は、係員の指示に従って、そのままメインカウンターへ行き、難なく入国審査を終了。
羽田で預けたスーツケースは、税関申告がないのでそのままスラバヤまでスルーで行けるはずだが、ガルーダの職員が念のために確認してくれる。スーツケース無しで税関のグリーンランプを通り過ぎ、出口へ出ようとすると、左側に、トランジット用の入口が。そこを通って、外へいったん出ることなく、国内線出発カウンター・ロビーを通り抜け、エスカレーターで2階の出発階へ進む。
なかなかスムーズだった。対照的だったのが、日本へ行くときにトランジットしたバリのデンパサール空港。スラバヤから国内線で着き、国際線ターミナルへどう行けばいいのか、表示板が見当たらない。「私が案内しましょう」と何人もの若者が寄ってくる。空港は新しいが、当面は、デンパサールでのトランジットは避けたいと思った。
空港設備の悪名高きジャカルタのほうが乗換はスムーズだった。もっとも、人があまりいない朝だったということもあるのだろうが。
ラウンジで少し休み、1時間遅れのガルーダ便でスラバヤへ午前10時過ぎに到着した。
レバランにはまた、インドネシアから国外へ飛ぶ。久々の全く仕事なしの旅行。それまで1週間、スラバヤの予定だ。
2014年7月21日月曜日
2014年6月16日月曜日
スラバヤの街角で、赤い帽子のおじいさんが
スラバヤの街角で、赤い帽子のおじいさんが、制服を着た屈強な男たち6〜7人に取り囲まれ、説教をされ、連れられてトラックに載せられ、どこかへ連れて行かれた。
ただ、それだけのことである。
様子を見ていたら、屈強な男の一人が説明してくれた。「見たらわかるだろ。オラン・ギラ(orang gila)だよ。放置しておいたら何するか分からない。危ないだろ」と。見たところ、おじいさんは酔っている様子も、また誰かに暴力をふるうような様子もない。
屈強な男は続けていった。「都市の景観を悪くするし・・・」と。ええっ、景観を悪くするという理由で、ちょっと「えへへ~」という感じでただ笑って座っているだけのおじいさんを街角から排除するのか・・・。
スラバヤは都市の景観を大事にする街として知られ、大通りには木々や花々が植えられて緑あふれている。清掃係が1日に何回も大通りを掃除している。見た目にはゴミの落ちていない、きれいな町である。
その一端は、異質なものを排除することで成り立っていたのである。スラバヤで見てはいけないものを見てしまったのだろうか。
多様性の中の統一を謳うこの国で起きている様々な少数派排除の動きのことを思った。多様性を強調する世界と「普通」から外れたものを排除する世界は、実は紙一重なのだ。いや、もっと言えば、表裏一体なのかもしれない。
いや、社会ではなく、我々自身にその両面性があるとはいえないだろうか。多様性の尊重をいう場合でもその許容できる範囲があり、その範囲を外れた異質なものを排除するのだ。スラバヤやインドネシア、もしかしたら日本も、許容できる範囲の大きさの差こそあれ、同じなのではないかと思った。
赤い帽子のおじいさんは、きっと、社会施設に連れて行かれ、家族がいるかどうか尋ねられ、いない場合はしばらくそこで引き取ってもらえているのだろう。そう信じたい。
ただ、それだけのことである。
様子を見ていたら、屈強な男の一人が説明してくれた。「見たらわかるだろ。オラン・ギラ(orang gila)だよ。放置しておいたら何するか分からない。危ないだろ」と。見たところ、おじいさんは酔っている様子も、また誰かに暴力をふるうような様子もない。
屈強な男は続けていった。「都市の景観を悪くするし・・・」と。ええっ、景観を悪くするという理由で、ちょっと「えへへ~」という感じでただ笑って座っているだけのおじいさんを街角から排除するのか・・・。
スラバヤは都市の景観を大事にする街として知られ、大通りには木々や花々が植えられて緑あふれている。清掃係が1日に何回も大通りを掃除している。見た目にはゴミの落ちていない、きれいな町である。
その一端は、異質なものを排除することで成り立っていたのである。スラバヤで見てはいけないものを見てしまったのだろうか。
多様性の中の統一を謳うこの国で起きている様々な少数派排除の動きのことを思った。多様性を強調する世界と「普通」から外れたものを排除する世界は、実は紙一重なのだ。いや、もっと言えば、表裏一体なのかもしれない。
いや、社会ではなく、我々自身にその両面性があるとはいえないだろうか。多様性の尊重をいう場合でもその許容できる範囲があり、その範囲を外れた異質なものを排除するのだ。スラバヤやインドネシア、もしかしたら日本も、許容できる範囲の大きさの差こそあれ、同じなのではないかと思った。
赤い帽子のおじいさんは、きっと、社会施設に連れて行かれ、家族がいるかどうか尋ねられ、いない場合はしばらくそこで引き取ってもらえているのだろう。そう信じたい。
2014年5月29日木曜日
Alfa Martの赤い端末
一昨日(5月27日)、近所のAlfa Mart(インドネシア地場のコンビニ)へ行ったら、ATMの脇に赤っぽい箱のようなものが置いてあった。よくみると、赤い端末である。
ちょうど、スマラン行きの鉄道の切符を買いたかったので、操作してみた。端末の指示に従って、出発日や行先を入れていき、最後に支払いのところまで来た。
けっこう、いけるじゃん。と思ったら、最後が難所だった。自分のID番号を入れるのである。それがすべて数字。
私のKITAS(外国人一時滞在証)IDにはアルファベットが混じっており、入力できない。というか、一般の旅行客はこの端末で鉄道の切符は買えないのだ。パスポート番号にもアルファベットが交じるからである。もちろん、インドネシア国籍で住民登録番号を持っている人ならば買えるのだろう。
しかたないので、レジに行き、店員にKITASを渡して登録してもらい、無事に鉄道の切符を買うことができた。
今日(5月29日)は、来週、マカッサルへ行くライオン航空のチケットを買ってみた。まず、自分のパソコンでインターネット予約し、それをAlfa Martで買えるように指示。3時間以内に購入せよとのメッセージが出る。
Alfa Martへ出向いて、再び赤い端末へ。ライオン航空のところをタッチし、インターネット予約で出されたAlfa Mart用の予約数字番号(ブッキングコードではない)を入力。すると、「あなたの待ち合わせ番号は21番です」といった表示が画面に出る。でも、日本のようにレシートのようなものが出てくるわけではない。
しかたないので、レジのお姉さんに「ライオン航空の待ち合わせ番号21番ですよ」と告げると、「はい」と答えがあって、レジの横の端末で購入のための処理をしている。「あ、番号が消えちゃった!何番でしたか?」とお姉さんの声。もう一度、赤い端末に入力してやり直すと、待ち合わせ番号は22番になった。
今度は大丈夫。と思ったら、「もう一度入力番号を教えて」と言われて再々度伝える。待つこと5分、代金を支払うと、ようやくレシートが印刷された。そして、ほどなく、メールで電子チケットが送られてきた。
日本のコンビニに比べれば、とても質素な感じの赤い端末。でも、これでまだ十分なのかもしれない。インドネシアでの展開を模索している日本のコンビニは、こうした状況にどう切り込んでいくのだろうか。
ちょうど、スマラン行きの鉄道の切符を買いたかったので、操作してみた。端末の指示に従って、出発日や行先を入れていき、最後に支払いのところまで来た。
けっこう、いけるじゃん。と思ったら、最後が難所だった。自分のID番号を入れるのである。それがすべて数字。
私のKITAS(外国人一時滞在証)IDにはアルファベットが混じっており、入力できない。というか、一般の旅行客はこの端末で鉄道の切符は買えないのだ。パスポート番号にもアルファベットが交じるからである。もちろん、インドネシア国籍で住民登録番号を持っている人ならば買えるのだろう。
しかたないので、レジに行き、店員にKITASを渡して登録してもらい、無事に鉄道の切符を買うことができた。
今日(5月29日)は、来週、マカッサルへ行くライオン航空のチケットを買ってみた。まず、自分のパソコンでインターネット予約し、それをAlfa Martで買えるように指示。3時間以内に購入せよとのメッセージが出る。
Alfa Martへ出向いて、再び赤い端末へ。ライオン航空のところをタッチし、インターネット予約で出されたAlfa Mart用の予約数字番号(ブッキングコードではない)を入力。すると、「あなたの待ち合わせ番号は21番です」といった表示が画面に出る。でも、日本のようにレシートのようなものが出てくるわけではない。
しかたないので、レジのお姉さんに「ライオン航空の待ち合わせ番号21番ですよ」と告げると、「はい」と答えがあって、レジの横の端末で購入のための処理をしている。「あ、番号が消えちゃった!何番でしたか?」とお姉さんの声。もう一度、赤い端末に入力してやり直すと、待ち合わせ番号は22番になった。
今度は大丈夫。と思ったら、「もう一度入力番号を教えて」と言われて再々度伝える。待つこと5分、代金を支払うと、ようやくレシートが印刷された。そして、ほどなく、メールで電子チケットが送られてきた。
日本のコンビニに比べれば、とても質素な感じの赤い端末。でも、これでまだ十分なのかもしれない。インドネシアでの展開を模索している日本のコンビニは、こうした状況にどう切り込んでいくのだろうか。
2014年4月11日金曜日
スラバヤ観光地図2014完成!
「スラバヤについて興味はあるけど、どこに何があるかよく分からないんだよね」という声を時々聞く。日本語で書かれた観光ガイド地図のようなものがあればいいのになあ、と思っていたら・・・。実は、それがあった。
日本語で書かれた「スラバヤ観光地図2014」。作ったのは、国立アイルランガ大学人文学部日本研究学科の大学3年生。同学科では、日本語教育の一環として、この地図を作っている。次も、新3年生がこの地図の改訂版を作る、とのことだ。
一見したが、意外によく出来ている。施設の説明などでは、住所、電話番号、営業時間も書かれている。筆者がこれまでさんざん見たことのある地方政府の日本語観光パンフレットよりもはるかに出来がよい。
もちろん、最新情報に基づいて、訂正すべき箇所がないわけではない。それは指摘して訂正していく必要がある。でも、スラバヤについて日本語で書かれた地図はおそらくこれが最初ではないだろうか。
筆者としては、この地図を電子データ化して、少なくともPDF化して、タブレット端末でも見られるようにするとよいと思った。そうすれば、スラバヤを訪れる人たちが前もってダウンロードして使えるようになる。
さて、地図を作ったら、その次はどうするのか。そう、もちろん、地図を使って、スラバヤの街を歩くのである。その際、国立アイルランガ大学人文学部日本研究学科の学生たちが日本人の方々をガイドする用意がある、とのことである。できれば、古い建物をめぐるコース、地元の市場の探検コース、宗教寺院をまわるコース、食べ歩きコース、などのコースを作って、この地図を片手に街歩きできるといいなと思う。
この地図を入手されたい方、大学の学生たちと一緒にスラバヤの街歩きをされたい方は、国立アイルランガ大学人文学部日本研究学科までご連絡を。もちろん日本語OKである。
国立アイルランガ大学人文学部日本研究学科
Tel: +62-31-5035676, Fax: +62-31-503-5808
Email: japanologyunair@yahoo.com
担当: 清水千恵さん(JICA青年海外協力隊員)
一見したが、意外によく出来ている。施設の説明などでは、住所、電話番号、営業時間も書かれている。筆者がこれまでさんざん見たことのある地方政府の日本語観光パンフレットよりもはるかに出来がよい。
もちろん、最新情報に基づいて、訂正すべき箇所がないわけではない。それは指摘して訂正していく必要がある。でも、スラバヤについて日本語で書かれた地図はおそらくこれが最初ではないだろうか。
筆者としては、この地図を電子データ化して、少なくともPDF化して、タブレット端末でも見られるようにするとよいと思った。そうすれば、スラバヤを訪れる人たちが前もってダウンロードして使えるようになる。
さて、地図を作ったら、その次はどうするのか。そう、もちろん、地図を使って、スラバヤの街を歩くのである。その際、国立アイルランガ大学人文学部日本研究学科の学生たちが日本人の方々をガイドする用意がある、とのことである。できれば、古い建物をめぐるコース、地元の市場の探検コース、宗教寺院をまわるコース、食べ歩きコース、などのコースを作って、この地図を片手に街歩きできるといいなと思う。
この地図を入手されたい方、大学の学生たちと一緒にスラバヤの街歩きをされたい方は、国立アイルランガ大学人文学部日本研究学科までご連絡を。もちろん日本語OKである。
国立アイルランガ大学人文学部日本研究学科
Tel: +62-31-5035676, Fax: +62-31-503-5808
Email: japanologyunair@yahoo.com
担当: 清水千恵さん(JICA青年海外協力隊員)
2014年4月6日日曜日
2014年4月1日火曜日
スラバヤを「桜」の街に
日本は今、東京を始め各地で桜が満開になっているようだが、インドネシア人の知人たちの間で、なんとスラバヤの「桜」が話題になっている。
雨季が始まる頃に咲く、スラバヤの「桜」。白、ピンク、黄色の花が咲く。花が咲き終わってから葉っぱが出てくるため、「桜」と同じだー、と言われているのである。
インドネシアの週刊誌『テンポ』の以下の写真ページを参照いただきたい。
Indahnya 'Bunga Sakura' di Surabaya
以下の日本語ウェブサイトでも、スラバヤの「桜」のことが取り上げられている。
【インドネシアで桜の木?】スラバヤに咲き誇る「桜」の美しさ
このスラバヤの「桜」、実は桜ではない。桜はバラ科サクラ亜科サクラ属で学名がPrunus, Cerasusであるのに対して、スラバヤの「桜」はタベブイアと呼ばれ、ノウゼンカズラ科タベブイア属の花を咲かせる樹木である。
スラバヤは緑の多い街である。よくみると、ただ単に緑が植えられているのではなく、花の咲く樹木が街路樹に植えられ、また、道路に面した公園や花壇には、様々な花が計算された配置に基づいて植えられていることが分かる。
そんな街路樹として、主要な通りに植えられているのが、このスラバヤの「桜」である。スラバヤ市のリスマ市長は「桜を愛でるなら、日本に行かずとも、スラバヤへ来ればいい」と言いながら、積極的にタベブイアを植えてきた。
本物の日本からの桜でないことを残念がる方もいるかもしれない。しかし、日本の桜の美しさをよく知っているからこそ、スラバヤにもそんな「桜」をたくさん咲かせてみたい、「桜」並木のある街にしたい、とリスマ市長は思ったのだろう。
スラバヤ市は、昔のゴミ最終処分場跡を公園化し、そこに「桜」を始めとして様々な花を植える計画を進めている。その計画に対して、国営BNI銀行が30億ルピア(約2700万円)を寄付すると申し出た。以下がその記事である。
BNI Kucurkan 3 Miliar untuk Taman Sakura Surabaya
リスマ市長は、スラバヤを「桜」の咲き誇る街にしたいのだ。街としての美観+潤いのある街にしたいのである。やはりこの市長は只者ではない。
世界中の市長を評価する『シティメイヤーズ』サイトは、リスマ市長を2014年2月の「メイヤー・オブ・ザ・マンス」に選んだ(英文記事はこちらから)。
今年も日本で花見ができなかった。でも、スラバヤが「桜」の咲き誇る街を目指すという話を聞いて、なんだかとっても嬉しくなった。
スラバヤ生活も4月1日から2年目に入った。この街がどんどん面白くなってきた。
スラバヤの街なかに咲く花の写真を少しずつ撮り始めた。「桜」はまだだが、花の話題にしては殺風景なので、花の写真をひとつ載せておく。
雨季が始まる頃に咲く、スラバヤの「桜」。白、ピンク、黄色の花が咲く。花が咲き終わってから葉っぱが出てくるため、「桜」と同じだー、と言われているのである。
インドネシアの週刊誌『テンポ』の以下の写真ページを参照いただきたい。
Indahnya 'Bunga Sakura' di Surabaya
以下の日本語ウェブサイトでも、スラバヤの「桜」のことが取り上げられている。
【インドネシアで桜の木?】スラバヤに咲き誇る「桜」の美しさ
このスラバヤの「桜」、実は桜ではない。桜はバラ科サクラ亜科サクラ属で学名がPrunus, Cerasusであるのに対して、スラバヤの「桜」はタベブイアと呼ばれ、ノウゼンカズラ科タベブイア属の花を咲かせる樹木である。
スラバヤは緑の多い街である。よくみると、ただ単に緑が植えられているのではなく、花の咲く樹木が街路樹に植えられ、また、道路に面した公園や花壇には、様々な花が計算された配置に基づいて植えられていることが分かる。
そんな街路樹として、主要な通りに植えられているのが、このスラバヤの「桜」である。スラバヤ市のリスマ市長は「桜を愛でるなら、日本に行かずとも、スラバヤへ来ればいい」と言いながら、積極的にタベブイアを植えてきた。
本物の日本からの桜でないことを残念がる方もいるかもしれない。しかし、日本の桜の美しさをよく知っているからこそ、スラバヤにもそんな「桜」をたくさん咲かせてみたい、「桜」並木のある街にしたい、とリスマ市長は思ったのだろう。
スラバヤ市は、昔のゴミ最終処分場跡を公園化し、そこに「桜」を始めとして様々な花を植える計画を進めている。その計画に対して、国営BNI銀行が30億ルピア(約2700万円)を寄付すると申し出た。以下がその記事である。
BNI Kucurkan 3 Miliar untuk Taman Sakura Surabaya
リスマ市長は、スラバヤを「桜」の咲き誇る街にしたいのだ。街としての美観+潤いのある街にしたいのである。やはりこの市長は只者ではない。
世界中の市長を評価する『シティメイヤーズ』サイトは、リスマ市長を2014年2月の「メイヤー・オブ・ザ・マンス」に選んだ(英文記事はこちらから)。
今年も日本で花見ができなかった。でも、スラバヤが「桜」の咲き誇る街を目指すという話を聞いて、なんだかとっても嬉しくなった。
スラバヤ生活も4月1日から2年目に入った。この街がどんどん面白くなってきた。
スラバヤの街なかに咲く花の写真を少しずつ撮り始めた。「桜」はまだだが、花の話題にしては殺風景なので、花の写真をひとつ載せておく。
2014年3月31日月曜日
東ジャワ州の日本語人材を活用せよ
先ごろ、日本の大学へのインドネシア人留学生を選抜する文部科学省の国費留学生試験が実施され、1次・2次の合格者が決まったようである。
複数の人から聞いたところによると、インドネシア国内で合格者が最も多かったのは、東ジャワ州マラン市にある国立ブラウィジャヤ大学で、8人が合格したという。この8人という数字、1校あたりの合格者としてはかなりの合格率ではないだろうか。もしかすると、世界的に見ても、最も多い合格者だったかもしれない。
そのほか、東ジャワ州スラバヤ市にある国立アイルランガ大学から3人、日本語教師養成コースを持つスラバヤ国立大学からも2人が合格、そのほか同じスラバヤ市内の私立ストモ博士大学からも合格者が出た可能性がある。
一方、西ジャワ州デポック市にある国立インドネシア大学からの合格者は1人、ジョグジャカルタ特別州の国立ガジャマダ大学からは合格者がいなかった様子である。
すなわち、今回の国費留学生試験の合格者の大半は東ジャワ州から出た、ということになりそうである。
国立ブラウィジャヤ大学の日本語科では、大学学部卒業までに日本語能力試験のN2に合格することを目標に、日本人のI先生を筆頭に、N1を持つインドネシア人の先生たちが懸命に日本語を教えている。
昨年5月、筆者は、国立ブラウィジャヤ大学で「インドネシアの日系企業と日本の企業文化」と題して特別講義をしたことがあったが、約200人以上の学生が集まり、質疑応答に1時間以上を費やすほど、学生たちは熱心だったのが印象に残っている(下写真)。そのときに、「N2をとれれば日系企業に就職できるだろう」という話をした際に、がぜん盛り上がったのを覚えている。
私の知り合いの方は、国立ブラウィジャヤ大学の日本語科の優秀な学生たちを活用し、スカイプを使ったインドネシア語学習プログラムを試みている。興味のある方は、以下のサイトにアクセスして詳細を見て欲しい。
日本インドネシア語学院
国立アイルランガ大学は、日本研究科であって必ずしも日本語科ではないが、学生たちが熱心で、すでにN2を取ってしまった者もいるため、先生たちの目が覚めた。毎週、時間を決めて、先生方が自主的に日本語能力を高めるための勉強会を行い、N1合格を目指すということである。
これまで、日本語人材といえば、日本研究センターを持つ国立インドネシア大学や国立ガジャマダ大学などの出身者に定評があるとされてきた。しかし、国費留学生試験の結果だけから見れば、ジャカルタ周辺ではまだあまり知られていない、東ジャワ州の大学が従来の有名大学を凌駕し始めている。
もちろん、東ジャワ州における日本語学習者の裾野も着実に広がっているし、自分の日本語能力を高めるために、日本人の方と接する機会を持ちたいと思っている学習者は相当な数で存在する。
今年は、スラバヤ市でも、ジャカルタ・ジャパン祭りのような、ジャパン祭りをやってみようではないかという意見が出ている。当地の日本語学習者を巻き込んで、むしろ、インドネシア側の意向を取り込んでいきながら、面白いイベントが出来ないものかと思っている。機会があれば、私なりの色々なアイディアを出してみたいし、各大学の関係者と話し合ってみたい。
ジャカルタ周辺で日本語人材の確保に努めていらっしゃる方は、この機会に、東ジャワ州の国立ブラウィジャヤ大学や国立アイルランガ大学などの関係者に、どんな様子なのか、聞いてみてはいかがだろうか。東ジャワ州には、意外に優秀な人材が留まっているかもしれない。そして、チャンスが有れば、彼らはジャカルタ周辺で働くことも厭わないことだろう。
いや、いっそのこと、投資環境が悪化してしまったジャカルタから、東ジャワへの企業移転またはビジネス機会の拡大を図ってみてはどうだろうか。ジャカルタ周辺と比べてもそこそこのレベルの日本語人材を活用することができるはずである。
複数の人から聞いたところによると、インドネシア国内で合格者が最も多かったのは、東ジャワ州マラン市にある国立ブラウィジャヤ大学で、8人が合格したという。この8人という数字、1校あたりの合格者としてはかなりの合格率ではないだろうか。もしかすると、世界的に見ても、最も多い合格者だったかもしれない。
そのほか、東ジャワ州スラバヤ市にある国立アイルランガ大学から3人、日本語教師養成コースを持つスラバヤ国立大学からも2人が合格、そのほか同じスラバヤ市内の私立ストモ博士大学からも合格者が出た可能性がある。
一方、西ジャワ州デポック市にある国立インドネシア大学からの合格者は1人、ジョグジャカルタ特別州の国立ガジャマダ大学からは合格者がいなかった様子である。
すなわち、今回の国費留学生試験の合格者の大半は東ジャワ州から出た、ということになりそうである。
国立ブラウィジャヤ大学の日本語科では、大学学部卒業までに日本語能力試験のN2に合格することを目標に、日本人のI先生を筆頭に、N1を持つインドネシア人の先生たちが懸命に日本語を教えている。
昨年5月、筆者は、国立ブラウィジャヤ大学で「インドネシアの日系企業と日本の企業文化」と題して特別講義をしたことがあったが、約200人以上の学生が集まり、質疑応答に1時間以上を費やすほど、学生たちは熱心だったのが印象に残っている(下写真)。そのときに、「N2をとれれば日系企業に就職できるだろう」という話をした際に、がぜん盛り上がったのを覚えている。
私の知り合いの方は、国立ブラウィジャヤ大学の日本語科の優秀な学生たちを活用し、スカイプを使ったインドネシア語学習プログラムを試みている。興味のある方は、以下のサイトにアクセスして詳細を見て欲しい。
日本インドネシア語学院
国立アイルランガ大学は、日本研究科であって必ずしも日本語科ではないが、学生たちが熱心で、すでにN2を取ってしまった者もいるため、先生たちの目が覚めた。毎週、時間を決めて、先生方が自主的に日本語能力を高めるための勉強会を行い、N1合格を目指すということである。
これまで、日本語人材といえば、日本研究センターを持つ国立インドネシア大学や国立ガジャマダ大学などの出身者に定評があるとされてきた。しかし、国費留学生試験の結果だけから見れば、ジャカルタ周辺ではまだあまり知られていない、東ジャワ州の大学が従来の有名大学を凌駕し始めている。
もちろん、東ジャワ州における日本語学習者の裾野も着実に広がっているし、自分の日本語能力を高めるために、日本人の方と接する機会を持ちたいと思っている学習者は相当な数で存在する。
今年は、スラバヤ市でも、ジャカルタ・ジャパン祭りのような、ジャパン祭りをやってみようではないかという意見が出ている。当地の日本語学習者を巻き込んで、むしろ、インドネシア側の意向を取り込んでいきながら、面白いイベントが出来ないものかと思っている。機会があれば、私なりの色々なアイディアを出してみたいし、各大学の関係者と話し合ってみたい。
ジャカルタ周辺で日本語人材の確保に努めていらっしゃる方は、この機会に、東ジャワ州の国立ブラウィジャヤ大学や国立アイルランガ大学などの関係者に、どんな様子なのか、聞いてみてはいかがだろうか。東ジャワ州には、意外に優秀な人材が留まっているかもしれない。そして、チャンスが有れば、彼らはジャカルタ周辺で働くことも厭わないことだろう。
いや、いっそのこと、投資環境が悪化してしまったジャカルタから、東ジャワへの企業移転またはビジネス機会の拡大を図ってみてはどうだろうか。ジャカルタ周辺と比べてもそこそこのレベルの日本語人材を活用することができるはずである。
2014年3月30日日曜日
スラバヤ空港から空港バスに乗ると・・・
昨日(3月29日)、知人をスラバヤ・ジュアンダ空港第2ターミナルまで送った後、空港バスに乗ってみることにした。
空港バスは、第2ターミナルを出て、すぐ目の前に停まっている。30人乗り程度の中型バスである。料金は2万ルピア、エアコンが効いている。しかし、大きな荷物を収納するスペースはない。
行き先は、スラバヤの南手前、シドアルジョにあるプラバヤ(Purabaya)バスターミナル。スラバヤ市内まではダイレクトに行かないのだ。途中、若干渋滞したが、約30分でプラバヤ・バスターミナルに到着した。
到着したところは、ジョグジャカルタやスマランなどへのバスが出る長距離バス乗り場だった。ジョグジャカルタ行きのエアコン付き普通バスが次々に出て行く。
そこから、飲食店が並ぶ建物の中を通ってまっすぐ行く。行先別に乗り場への指示板が出ていてわかりやすいが、「どこへ行くんだ?」と、客引きのおっちゃんたちが群がってくる。客をバス乗り場まで連れてくると、そのバス会社からコミッションをもらえるのである。自分で乗り場がわからなくても、彼らが案内してくれるので、たしかにラクはラクなのだが。
これらを通り抜けて、スラバヤ市内へ向かうバス乗り場へ出る。ここでも、行き先別にバスが並んでいるが、行き先を見ただけでは、どのバスに乗ればよいのか、検討がつかない。エアコン付きのバスは数系統しかない。
筆者の自宅近くまで行くバスはなさそうなので、途中のディポネゴロ通りを通るバスに乗った。エアコンなしのボロボロのバスで、料金は5000ルピア。渋滞があったため、スラバヤ動物園を越えてディポネゴロ通りまで45分近くかかった。
ディポネゴロ通りでバスを下り、結局タクシーで自宅へ。結局、空港から自宅まで、しめて5万ルピア程度で済んだ。
結論としては、空港バスでスラバヤ市内へ向かうのはお勧めできない。荷物があったらなおさらである。
空港バス自体がスラバヤ市内へ入らないことが問題であるだけでなく、客引きのおっちゃんや怪しげな人々の行き交うプラバヤ・バスターミナルを歩くのは、インドネシアをバックパッカーとして旅するような人以外にはちょっとヘビーである。
空港から10万ルピア払っても、空港タクシーを利用するほうがずっとラクである。
空港タクシーのカウンターは、第2ターミナルの出口のすぐ左横にある。カウンターの右隣には、タクシーチケットの自動券売機が置かれている。
ジャカルタもマカッサルも、空港バスはちゃんと市内まで運行しているのに、スラバヤはそうなっていない。もっとも、時刻表はなく、人数が揃ったら出発するという点では、トランスジャカルタなど一部を除き、全国どこのバスでも同じである。
空港バスは、第2ターミナルを出て、すぐ目の前に停まっている。30人乗り程度の中型バスである。料金は2万ルピア、エアコンが効いている。しかし、大きな荷物を収納するスペースはない。
行き先は、スラバヤの南手前、シドアルジョにあるプラバヤ(Purabaya)バスターミナル。スラバヤ市内まではダイレクトに行かないのだ。途中、若干渋滞したが、約30分でプラバヤ・バスターミナルに到着した。
到着したところは、ジョグジャカルタやスマランなどへのバスが出る長距離バス乗り場だった。ジョグジャカルタ行きのエアコン付き普通バスが次々に出て行く。
そこから、飲食店が並ぶ建物の中を通ってまっすぐ行く。行先別に乗り場への指示板が出ていてわかりやすいが、「どこへ行くんだ?」と、客引きのおっちゃんたちが群がってくる。客をバス乗り場まで連れてくると、そのバス会社からコミッションをもらえるのである。自分で乗り場がわからなくても、彼らが案内してくれるので、たしかにラクはラクなのだが。
途中には、ジャカルタやバリへ向かうエアコン付き有名バス会社のチケット購入スタンドが立ち並んでいる。すでに出払った後と見え、ほとんどのスタンドが閉まっていた。
これらを通り抜けて、スラバヤ市内へ向かうバス乗り場へ出る。ここでも、行き先別にバスが並んでいるが、行き先を見ただけでは、どのバスに乗ればよいのか、検討がつかない。エアコン付きのバスは数系統しかない。
筆者の自宅近くまで行くバスはなさそうなので、途中のディポネゴロ通りを通るバスに乗った。エアコンなしのボロボロのバスで、料金は5000ルピア。渋滞があったため、スラバヤ動物園を越えてディポネゴロ通りまで45分近くかかった。
ディポネゴロ通りでバスを下り、結局タクシーで自宅へ。結局、空港から自宅まで、しめて5万ルピア程度で済んだ。
結論としては、空港バスでスラバヤ市内へ向かうのはお勧めできない。荷物があったらなおさらである。
空港バス自体がスラバヤ市内へ入らないことが問題であるだけでなく、客引きのおっちゃんや怪しげな人々の行き交うプラバヤ・バスターミナルを歩くのは、インドネシアをバックパッカーとして旅するような人以外にはちょっとヘビーである。
空港から10万ルピア払っても、空港タクシーを利用するほうがずっとラクである。
空港タクシーのカウンターは、第2ターミナルの出口のすぐ左横にある。カウンターの右隣には、タクシーチケットの自動券売機が置かれている。
ジャカルタもマカッサルも、空港バスはちゃんと市内まで運行しているのに、スラバヤはそうなっていない。もっとも、時刻表はなく、人数が揃ったら出発するという点では、トランスジャカルタなど一部を除き、全国どこのバスでも同じである。
2014年3月21日金曜日
スラバヤ・ジュアンダ国際空港にて
昨晩(3/20)、キャセイ航空で東京から香港経由でスラバヤへ戻った。到着したのは、スラバヤ・ジュアンダ国際空港第2ターミナル。昔の空港をリノベーションして、新空港としたものである。
今回は、国際線到着では初めての利用になる。イミグレは空いていて、すぐ自分の番に。ところが、「別室へ行け」と言われる。何か問題があったのか。
別室にはいやな思い出がある。インドネシアへ初めて入国した1985年8月。インドネシアがビザなしで入国できるようになったはずなのだが、情報がはっきりしない。オドオドしながら、パスポートを手に並んでいたら、係員が「こっちへ来い」と別室に連れて行かれた。椅子に腰掛けると、係員が「ドラール、ドラール」という。最初は何を言っているのか分からなかったが、インドネシア語でドルと発音しているのだった。当時、インドネシア語がまだできなかったので、「ノーノー」というと、私に財布を出せと命じる。恐る恐る財布を出すと、財布の中のシンガポールで換金してきたルピアの束から1万ルピアを勝手に抜き出し、「オッケー」といって入国スタンプを押して、開放された。
それが、私の最初のインドネシアだった。聞かされていたとおり、なんて汚い国だとそのときは思った。出迎えに来ていた私のインドネシア語の先生が、彼の家のある西ジャワ州チマヒに着くまでずっと謝っていた。その後の、彼のカンポンでの様々な楽しい思い出がなかったら、私はインドネシアが大嫌いになっていたことだろう。
今回も、そのことが頭をよぎった。が、よく聞いてみると、外国人居住者用の出入国スタンプがイミグレカウンターにないという。あり得ないと思った。またダマされて金銭を要求されるのか。
別室の前へ行っても警戒は解かなかった。係員が私のパスポートを持って中に入り、しばらくすると、出てきた。入国スタンプが押されていた。
その後、荷物を受け取り、税関へ。ジャカルタでは手荷物だけをX線に通すのだが、なぜかスラバヤのここでは、すべての荷物を通すのだった。
空港に到着し、税関を抜けて外に出るまで、わずか20分。空いているということもあるが、かなり早かった。外に出る手前にタクシーカウンターがあり、そこでチケットを買って、タクシー乗り場へ。
新車のタクシーは匂いがきつく、運転も荒かったので、久々に酔いそうになった。
ともあれ、スラバヤの自宅に無事、夜9時すぎに到着。寝る前に短い原稿を1本書こうと思ったが、やはり睡魔には勝てず、今朝、朝一で書き上げた。
今回は、国際線到着では初めての利用になる。イミグレは空いていて、すぐ自分の番に。ところが、「別室へ行け」と言われる。何か問題があったのか。
別室にはいやな思い出がある。インドネシアへ初めて入国した1985年8月。インドネシアがビザなしで入国できるようになったはずなのだが、情報がはっきりしない。オドオドしながら、パスポートを手に並んでいたら、係員が「こっちへ来い」と別室に連れて行かれた。椅子に腰掛けると、係員が「ドラール、ドラール」という。最初は何を言っているのか分からなかったが、インドネシア語でドルと発音しているのだった。当時、インドネシア語がまだできなかったので、「ノーノー」というと、私に財布を出せと命じる。恐る恐る財布を出すと、財布の中のシンガポールで換金してきたルピアの束から1万ルピアを勝手に抜き出し、「オッケー」といって入国スタンプを押して、開放された。
それが、私の最初のインドネシアだった。聞かされていたとおり、なんて汚い国だとそのときは思った。出迎えに来ていた私のインドネシア語の先生が、彼の家のある西ジャワ州チマヒに着くまでずっと謝っていた。その後の、彼のカンポンでの様々な楽しい思い出がなかったら、私はインドネシアが大嫌いになっていたことだろう。
今回も、そのことが頭をよぎった。が、よく聞いてみると、外国人居住者用の出入国スタンプがイミグレカウンターにないという。あり得ないと思った。またダマされて金銭を要求されるのか。
別室の前へ行っても警戒は解かなかった。係員が私のパスポートを持って中に入り、しばらくすると、出てきた。入国スタンプが押されていた。
その後、荷物を受け取り、税関へ。ジャカルタでは手荷物だけをX線に通すのだが、なぜかスラバヤのここでは、すべての荷物を通すのだった。
空港に到着し、税関を抜けて外に出るまで、わずか20分。空いているということもあるが、かなり早かった。外に出る手前にタクシーカウンターがあり、そこでチケットを買って、タクシー乗り場へ。
新車のタクシーは匂いがきつく、運転も荒かったので、久々に酔いそうになった。
ともあれ、スラバヤの自宅に無事、夜9時すぎに到着。寝る前に短い原稿を1本書こうと思ったが、やはり睡魔には勝てず、今朝、朝一で書き上げた。
2014年2月21日金曜日
出発当日、鉄道切符の払い戻しは?
先日のクルド火山噴火で、今週、2月16〜18日に予定していたソロへの出張が延期になった。スラバヤからソロへは航空便がないので、鉄道を利用する。おおよそ3時間程度なので、さほど苦にはならない。
さて、今回、その切符の払い戻しをするために、スラバヤ・グベン駅へ行った。2月16日、本来なら出発する日である。当日のキャンセルなので、まあ、半額でも20%でも払い戻しできればラッキー、払い戻しできない可能性もあるな、という軽い気持ちで行った。
結果は・・・。意外だった。2月16日のスラバヤ発ソロ行きの切符は、当日ということでダメだと思ったら、「当日なのでこの場で処理する」という理由で、全額、その場で戻ってきた。一方、2月18日のソロ発スラバヤ行きの切符は、「マニュアルで処理しなければならない」という理由で、1か月後以降、25%の手数料を引いた額が払い戻される。
すなわち、インドネシアでは、切符の払い戻しをする場合、少なくとも乗車駅で当日に払い戻すと、100%その場でお金が戻ってくるのである。
参考になれば幸いである。
さて、今回、その切符の払い戻しをするために、スラバヤ・グベン駅へ行った。2月16日、本来なら出発する日である。当日のキャンセルなので、まあ、半額でも20%でも払い戻しできればラッキー、払い戻しできない可能性もあるな、という軽い気持ちで行った。
結果は・・・。意外だった。2月16日のスラバヤ発ソロ行きの切符は、当日ということでダメだと思ったら、「当日なのでこの場で処理する」という理由で、全額、その場で戻ってきた。一方、2月18日のソロ発スラバヤ行きの切符は、「マニュアルで処理しなければならない」という理由で、1か月後以降、25%の手数料を引いた額が払い戻される。
すなわち、インドネシアでは、切符の払い戻しをする場合、少なくとも乗車駅で当日に払い戻すと、100%その場でお金が戻ってくるのである。
参考になれば幸いである。
2014年2月12日水曜日
言葉が下手だからコミュニケーションできない・・・
今日、用事があってスラバヤ市政府の役人と会った。インドネシア語でいろいろ説明していると、その途中で先方が言い出した。「せっかくこちらがお前を助けてあげようとしているのに、お前の言葉が下手だからコミュニケーションができない」と。要するに、私とは話をしたくない、という婉曲表現である。
助けてあげたいのにできない、というのも彼らの常套文句で、助ける気などこれっぽっちもないのに、恩着せがましく言うのである。
この役人は、私がいきなりアポなしで会いに来たのが気に入らなかったのである。私は、来週スラバヤに来る訪問団のアポを取るため、正式レターを出す前にどの部署を訪ねるのがよいか、探るために出かけたのである。インドネシアでは進んでいるといわれるスラバヤ市政府でも、全ての部署の電話やメルアドが明記されている訳でもなく、また電話しても途中で切られてしまうことが少なくない。今回、ある程度当たりを付けてから、レターを出す心づもりだった。
でも、役人はレターなしで来る人間には極めて冷たい態度をとる。もしそうなら、あの不愉快な役人は私と会うのを拒み、「レターがなければ会えない」と言いさえすればよかったのだ。それを面会に応じ、いやそうなそぶりを見せながら「お前を助けたいのに、お前の言葉が下手なせいで助けられない」などとわざわざ言うのである。結局、結論は「レターを出せ」なのであった。
こうした経験は、スラウェシやマカッサルにいた時にはまずなかった。数少ない経験ではあるが、それはいずれもジャワでの経験である。言い訳になるかもしれないが、これは決してジャワを悪く言いたいがための話ではないことを断っておく。
助けてあげたいのにできない、というのも彼らの常套文句で、助ける気などこれっぽっちもないのに、恩着せがましく言うのである。
この役人は、私がいきなりアポなしで会いに来たのが気に入らなかったのである。私は、来週スラバヤに来る訪問団のアポを取るため、正式レターを出す前にどの部署を訪ねるのがよいか、探るために出かけたのである。インドネシアでは進んでいるといわれるスラバヤ市政府でも、全ての部署の電話やメルアドが明記されている訳でもなく、また電話しても途中で切られてしまうことが少なくない。今回、ある程度当たりを付けてから、レターを出す心づもりだった。
でも、役人はレターなしで来る人間には極めて冷たい態度をとる。もしそうなら、あの不愉快な役人は私と会うのを拒み、「レターがなければ会えない」と言いさえすればよかったのだ。それを面会に応じ、いやそうなそぶりを見せながら「お前を助けたいのに、お前の言葉が下手なせいで助けられない」などとわざわざ言うのである。結局、結論は「レターを出せ」なのであった。
こうした経験は、スラウェシやマカッサルにいた時にはまずなかった。数少ない経験ではあるが、それはいずれもジャワでの経験である。言い訳になるかもしれないが、これは決してジャワを悪く言いたいがための話ではないことを断っておく。
ふと25年近く前の出来事を思い出した。前にもブログに書いた話かもしれないが、もう一度書く。あのときは、ジャカルタで日本から来た専門家のセミナーで、慣れないながらも通訳をさせられた。セミナー出席者は模範工場を見学し、その感想を述べる場面で、その模範工場の欠点ばかりを指摘した。専門家は「本当に欠点ばかりだったのでしょうか。ご自分の工場と比べてよかった点は率直に認めることも必要ではないでしょうか」と述べた。私はそれを通訳した。
まとめのセッションで、参加者の感想を述べ合う時間が来た。そこで参加者のほとんどは、「通訳のインドネシア語が下手だからよく分からなかった」と述べたのである。私は泣きそうになった。セミナー参加者は、専門家の言葉に直接反論できないので、通訳を標的にして、自分たちが劣っているということを面前で認めずに済ませたのである。私は、そのいやらしさを痛感しながら、「自分の通訳の能力不足のせいなのだ」とセミナー参加者へ何度も詫びた。
あのときと同じ「いやらしさ」を、今日の役人との面会で久々に感じた。
言葉が下手だからお前とはコミュニケーションできない、と言われれば、そりゃあ、30年近くインドネシアと付き合い、インドネシア語でやり取りしてきたとはいえ、外国人のインドネシア語だし、と思うほかない。この30年で、インドネシア語も相当に乱れてきており、高校生の書くインドネシア語の文章などびっくりするぐらい下手で、赤ペンで添削したくなるようなレベルなのだが、私のはあくまでも外国人のインドネシア語、そう思うことにしている。
気分的なものにすぎないのだろうが、こうした「いやらしさ」の経験が、私自身、どうしてもジャワというものを心の底から好きになれない要因となっていることを否定できない。
2013年9月15日日曜日
スラバヤ郵便局本局
スラバヤには、落ち着いた古い建物がたくさん残っている。時間を見つけて、写真をたくさん撮りたいと思っているが、本当に、どの建物にも歴史を経た風格と何とも言えない風情がある。
先日、スラバヤ郵便局の本局へ行く機会があった。これがなかなかの建物だった。
スラバヤ郵便局の建物はオランダの建築家ボルシウス(G.J.P.M. Bolsius)によって設計され、1926年から1928年にかけて建設された。
この建物が建設する前、この場所にはオランダ人子弟や特定のエリートが通う中等学校(Sekolah HBS, 1881-1926)があり、植民地政庁副総督を務めたファン・モーク(H.J. van Mook)が1906-1913年に、初代インドネシア大統領のスカルノも1916-1923年に通っていたという。
建物だけではない。サービスが実にスムーズだった。入口で番号札を取り、銀行にあるような番号表示板(上写真)を見ながら、後は呼ばれるのを待つだけ。
普通ならば切手、普通郵便、速達、 EMSなどと窓口が分かれているものだが、ここは、どの窓口でもすべてのサービスに対応している。
今回はEMSを出しに行ったのだが、対応していただいた女性職員の方はテキパキとこなし、あっという間にEMSの手続が終わった。
これまでの郵便局での対応とは雲泥の差。インドネシアにおけるこうしたサービスの質が着実に向上しているのか。それとも、スラバヤがそうなのか。
先日、スラバヤ郵便局の本局へ行く機会があった。これがなかなかの建物だった。
スラバヤ郵便局の建物はオランダの建築家ボルシウス(G.J.P.M. Bolsius)によって設計され、1926年から1928年にかけて建設された。
この建物が建設する前、この場所にはオランダ人子弟や特定のエリートが通う中等学校(Sekolah HBS, 1881-1926)があり、植民地政庁副総督を務めたファン・モーク(H.J. van Mook)が1906-1913年に、初代インドネシア大統領のスカルノも1916-1923年に通っていたという。
建物だけではない。サービスが実にスムーズだった。入口で番号札を取り、銀行にあるような番号表示板(上写真)を見ながら、後は呼ばれるのを待つだけ。
普通ならば切手、普通郵便、速達、 EMSなどと窓口が分かれているものだが、ここは、どの窓口でもすべてのサービスに対応している。
今回はEMSを出しに行ったのだが、対応していただいた女性職員の方はテキパキとこなし、あっという間にEMSの手続が終わった。
これまでの郵便局での対応とは雲泥の差。インドネシアにおけるこうしたサービスの質が着実に向上しているのか。それとも、スラバヤがそうなのか。
2013年7月27日土曜日
スラバヤへ戻って
7月8〜21日、シンガポールと日本へ行ったため、スラバヤを離れていた。7月9日にシンガポール、7月11日に東京、7月17日に広島、7月18日に福山で講演してきた。結局、家族と一緒に過ごせたのはわずか3日だったが、東京の盆の墓参りをしたり、妻と久々に食事をしたりすることができ、充実した濃い日本滞在だった。
シンガポールや日本での講演で、まだまだビジネス関係者のインドネシアへの期待が高いことを実感した。しかも、単に「儲かりそうだから何かやりたい」という理由ではなく、真剣に前向きのビジネスを考えようとしている方々とお会いできたのはとても有益だった。 そして、昨今のジャカルタ周辺の投資環境の状態に懸念を抱いている方々が多いことも印象的だった。私が東ジャワや中ジャワの状況を紹介すると、真剣な眼差しで聞き入っている方々が少なくなかった。
インドネシアとビジネスを始めたい方々には、是非とも成功してもらいたいと強く思う。そして、そのためのお手伝いを一生懸命させていただきたいとも思う。ただし、これからのインドネシアにとってプラスになるようなビジネス、インドネシアと一緒に自らが成長していけるようなビジネスを創っていけるように、お手伝いをしたいのである。それが、回り回って、日本に対するより深い信頼や愛着心をインドネシアのなかに埋め込んでいくことにつながると信じるからである。
もっとも、私がお手伝いできることは限られている。一人の人間がすべて万能な訳ではない。様々なプロフェッショナルと人的関係を作りながら、自分が間接的にお手伝いできる範囲を広げていきたいと思っている。人は、いろんな人に助けられながら、そしていろんな人を助けながら、生きていくものだと思う。
インドネシアと日本の、そしてアジアと世界の、将来を意識しながら、価値のある活動をしていきたい、という高い理想を掲げていたい。その実現へ少しでも近づいていくための、自分の立ち位置をきちんと見定める時期に入ってきているようにも思える。
シンガポールや日本での講演で、まだまだビジネス関係者のインドネシアへの期待が高いことを実感した。しかも、単に「儲かりそうだから何かやりたい」という理由ではなく、真剣に前向きのビジネスを考えようとしている方々とお会いできたのはとても有益だった。 そして、昨今のジャカルタ周辺の投資環境の状態に懸念を抱いている方々が多いことも印象的だった。私が東ジャワや中ジャワの状況を紹介すると、真剣な眼差しで聞き入っている方々が少なくなかった。
インドネシアとビジネスを始めたい方々には、是非とも成功してもらいたいと強く思う。そして、そのためのお手伝いを一生懸命させていただきたいとも思う。ただし、これからのインドネシアにとってプラスになるようなビジネス、インドネシアと一緒に自らが成長していけるようなビジネスを創っていけるように、お手伝いをしたいのである。それが、回り回って、日本に対するより深い信頼や愛着心をインドネシアのなかに埋め込んでいくことにつながると信じるからである。
もっとも、私がお手伝いできることは限られている。一人の人間がすべて万能な訳ではない。様々なプロフェッショナルと人的関係を作りながら、自分が間接的にお手伝いできる範囲を広げていきたいと思っている。人は、いろんな人に助けられながら、そしていろんな人を助けながら、生きていくものだと思う。
インドネシアと日本の、そしてアジアと世界の、将来を意識しながら、価値のある活動をしていきたい、という高い理想を掲げていたい。その実現へ少しでも近づいていくための、自分の立ち位置をきちんと見定める時期に入ってきているようにも思える。
2013年6月16日日曜日
学生と「ハウルの動く城」を観る
6月15日、スラバヤ市内の私立ドクトル・ストモ大学で、日本語科の学生さんと一緒に日本映画を観ながら語り合う会、に行ってきた。
今回、彼らが観たいといってきたのは、宮崎駿監督の「ハウルの動く城」。おっと、これは日本人監督の作った日本映画ではあるが、ストーリーには日本が何も出てこないではないか。この映画を観て日本を語ろうとしているなら、ちょっと認識不足ではないか、などと思いながらも、とにかく出かけてみた。
真面目な日本語科の学生さんなのだ。映画を観る前に、映画の中に出てくる日本語の台詞から単語を抜き出し、その意味を確認している。でも、あまりにも機械的な訳なので、黙ってみていられなくなり、大げさなジェスチャーを交えて、意味を説明してみた。すると、「初めて知りました」という反応で学生の目が輝きだした。あー、彼らは生きた日本語に触れていないのだな、と思った。
いよいよ映画上映。「ハウルの動く城」は前にも何度か観ているが、やはりいいものはいい、という感じがする。ソフィーの声を吹き替え分ける倍賞千恵子はさすがだなと感心しながら観ていたら・・・。
隣のモスクからアザーンが。学生は何の躊躇もなく、キリのいい場面かどうかも何も考えず、映画を途中で止めた。アザーンが終わると、何事もなかったかのように、再び映画を再生した。
映画を観終わった後、学生たちと感想を述べ合った。やはり思った通り、学生たちは表面的なあらすじを追うのに精一杯で、表現の裏にある作者の意図などまでは思いが至らない様子だった。それでも鋭い質問があった。「なぜ、最後は、戦争を終わらせようというハッピーエンドになるのですか」という質問である。たしかに、そこがこの映画のちょっと?マークの部分ではある。
学生たちと一緒に考えてみようということにして、意見を出してもらった。「サリマンの敵国の王子が案山子にされていた魔法が解けてしまったから」とか「対立するどちら側にも立たなかったハウルが生き残ったから」とか、いろんな意見が出た。この点については、私も確たる答えを持っていなかったので、その辺で話を終わらせた。
しばらく映画の議論をインドネシア語で続けた後、学生たちから「日本語で話をしたい」というリクエストがあったので、日本語に切り換えて話を進めようとした。日本語を勉強するインドネシア人の学生からは、もっと日本語で日本人と会話する機会を増やしたい、という希望があったので、これはいい機会だと思った。
しかし、学生たちから日本語での話しかけが出てこないのである。だって、彼らが日本語を話す機会を欲しているんでしょ、と心の中で思いながら。どうやら、ほかの友達の前で、自分が間違った日本語を話しているのを見られたくない、恥ずかしい、という気持ちがある様子である。この辺り、英語で悪戦苦闘している日本の学生にも共通するかも、と思うような態度であった。
我々日本人ネイティブからすると、インドネシア人にとって日本語は外国語なんだから間違って当たり前、恥ずかしく思えるほど日本語はまだできないだろうから、どんどん話してみたらいいのに、と思ってしまう。せっかく、日本人ネイティブと接触できる時間なのに。私としてはちょっと残念だったが、ヒトのことはいえないと思った。
なぜなら、日本人が英語やインドネシア語を学ぶときの態度にも、彼らと同じような部分があるのではないかと思ったからだ。大してできもしないのに、あるいはだからこそ、よそ様にその様子を見せるのがはばかれる、という態度である。日本人の場合には、英語と比べてインドネシア語を下に見たり、あるいはインドネシア(人)を見下しするような態度だと、なおさら、インドネシア語を学ぶという話にはなりにくくなってしまうかもしれない。
それにしても、こんな形の映画鑑賞会で、彼らには何か役に立ったのだろうか。その点については、私はあまり自信がない。でも、時々、こんな会があって、日本語を勉強したいという学生に何かやる気を感じさせるきっかけ作りになるのなら、そのお手伝いは是非したいと思うのである。
今回、彼らが観たいといってきたのは、宮崎駿監督の「ハウルの動く城」。おっと、これは日本人監督の作った日本映画ではあるが、ストーリーには日本が何も出てこないではないか。この映画を観て日本を語ろうとしているなら、ちょっと認識不足ではないか、などと思いながらも、とにかく出かけてみた。
真面目な日本語科の学生さんなのだ。映画を観る前に、映画の中に出てくる日本語の台詞から単語を抜き出し、その意味を確認している。でも、あまりにも機械的な訳なので、黙ってみていられなくなり、大げさなジェスチャーを交えて、意味を説明してみた。すると、「初めて知りました」という反応で学生の目が輝きだした。あー、彼らは生きた日本語に触れていないのだな、と思った。
いよいよ映画上映。「ハウルの動く城」は前にも何度か観ているが、やはりいいものはいい、という感じがする。ソフィーの声を吹き替え分ける倍賞千恵子はさすがだなと感心しながら観ていたら・・・。
隣のモスクからアザーンが。学生は何の躊躇もなく、キリのいい場面かどうかも何も考えず、映画を途中で止めた。アザーンが終わると、何事もなかったかのように、再び映画を再生した。
映画を観終わった後、学生たちと感想を述べ合った。やはり思った通り、学生たちは表面的なあらすじを追うのに精一杯で、表現の裏にある作者の意図などまでは思いが至らない様子だった。それでも鋭い質問があった。「なぜ、最後は、戦争を終わらせようというハッピーエンドになるのですか」という質問である。たしかに、そこがこの映画のちょっと?マークの部分ではある。
学生たちと一緒に考えてみようということにして、意見を出してもらった。「サリマンの敵国の王子が案山子にされていた魔法が解けてしまったから」とか「対立するどちら側にも立たなかったハウルが生き残ったから」とか、いろんな意見が出た。この点については、私も確たる答えを持っていなかったので、その辺で話を終わらせた。
しばらく映画の議論をインドネシア語で続けた後、学生たちから「日本語で話をしたい」というリクエストがあったので、日本語に切り換えて話を進めようとした。日本語を勉強するインドネシア人の学生からは、もっと日本語で日本人と会話する機会を増やしたい、という希望があったので、これはいい機会だと思った。
しかし、学生たちから日本語での話しかけが出てこないのである。だって、彼らが日本語を話す機会を欲しているんでしょ、と心の中で思いながら。どうやら、ほかの友達の前で、自分が間違った日本語を話しているのを見られたくない、恥ずかしい、という気持ちがある様子である。この辺り、英語で悪戦苦闘している日本の学生にも共通するかも、と思うような態度であった。
我々日本人ネイティブからすると、インドネシア人にとって日本語は外国語なんだから間違って当たり前、恥ずかしく思えるほど日本語はまだできないだろうから、どんどん話してみたらいいのに、と思ってしまう。せっかく、日本人ネイティブと接触できる時間なのに。私としてはちょっと残念だったが、ヒトのことはいえないと思った。
なぜなら、日本人が英語やインドネシア語を学ぶときの態度にも、彼らと同じような部分があるのではないかと思ったからだ。大してできもしないのに、あるいはだからこそ、よそ様にその様子を見せるのがはばかれる、という態度である。日本人の場合には、英語と比べてインドネシア語を下に見たり、あるいはインドネシア(人)を見下しするような態度だと、なおさら、インドネシア語を学ぶという話にはなりにくくなってしまうかもしれない。
それにしても、こんな形の映画鑑賞会で、彼らには何か役に立ったのだろうか。その点については、私はあまり自信がない。でも、時々、こんな会があって、日本語を勉強したいという学生に何かやる気を感じさせるきっかけ作りになるのなら、そのお手伝いは是非したいと思うのである。
2013年6月8日土曜日
【お知らせ】南極星にも連載を開始
インドネシア・ジャカルタで発刊されている日本語情報誌『南極星』。この6月号から「スラバヤからインドネシアを見る」という表題で、短いエッセイの連載を開始した。最新号は、下記よりPDFでダウンロードが可能。
南極星6月号
現在、筆者が連載中のインドネシアでの日本語媒体は、『アピマガジン』『ニュースネットアジア』『さらさ』『じゃかるた新聞』『南極星』の5つ。スラバヤをテーマにするものが3本あり、書き分けに工夫が必要になっている。しんどいが、またそれも楽しい。
南極星6月号
現在、筆者が連載中のインドネシアでの日本語媒体は、『アピマガジン』『ニュースネットアジア』『さらさ』『じゃかるた新聞』『南極星』の5つ。スラバヤをテーマにするものが3本あり、書き分けに工夫が必要になっている。しんどいが、またそれも楽しい。
2013年6月7日金曜日
スラバヤの新交通システム計画
ジャカルタでは地下鉄(MRT)建設がいよいよ始まりそうだが、スラバヤでも新交通システムの導入、すなわちモノレールと路面電車の導入へ向けて動き始めた。
スラバヤに来て感じたことの一つは、320万人もの人口を抱えた大都市にもかかわらず、バスや乗合などの公共交通機関が極めて脆弱なことである。もちろん、乗合は何路線もあり、ジョヨボヨ・ターミナルというものもある。しかし、ジャカルタのビスコタ、メトロミニ、コパジャ、ミクロレットのような頻繁に走っている公共交通がほとんどない。バイクと自家用車が圧倒的である。
でも、スラバヤはもともと公共交通機関のあった街なのである。オランダ時代の1925年頃から1975年頃まで、蒸気で走る路面電車と電気で走る路面電車が走っていた。 料金は当時の額で3セン、オート三輪が25セン、タクシーが50センだったという。路面電車はバスに取って代わられた。しかし、そのバスも廃れて、本数が少なくなった。
スラバヤ市の道路延長距離は1426キロメートルで、個人所有二輪車・自動車の台数は2008年の140万9360台から2011年には699万3413台へ急増した。ところが、その一方で、バスの台数は250台から167台へ、乗合の数も5233台から4139台へと大幅に減少している。
当然、道路の渋滞は激しくなってくる。5年以内に、スラバヤの渋滞はジャカルタ並みになるという見方が強い。
そこで、スラバヤ市は、モノレールと路面電車を組み合わせたMRTを導入し、2015年に運転を開始したい意向である。両者の概要は以下の通りである。
<モノレール>(SUROTREM)
延長距離:16.7km
操車場駅:Joyoboyo
停車駅数:29
駅間距離:500-1,000m
年間予想利用客:2793万6900人
投資額:1.2兆ルピア
1車両当たりの最大乗客数:200人
車両編成:2両連結
経済的な料金:8,000-10,000ルピア
住民の支払可能額:6,000-10,000ルピア
車両数:21台
<路面電車>(BOYORAIL)
延長距離:23km
操車場駅:Kenjeren, Joyoboyo
停車駅数:23
駅間距離:500-2,000m
年間予想利用客:4371万7742人
投資額:8.5兆ルピア
1車両当たりの最大乗客数:400人
車両編成:4両連結
経済的な料金:37,000-40,000ルピア
住民の支払可能額:6,000-10,000ルピア
車両数:18台
予想されるのは、建設工事により渋滞がよりひどくなる、ということである。また、公共交通期間に乗り慣れていない人々が、果たして整然と乗り降りできるだろうか、という点も懸念材料である。
そもそも、民間が資金を出さなければ実現しない話だが、本当に資金を出す民間が出てくるのだろうか。実現できたらいいけれど、そう簡単ではないだろう。スラバヤと同時期にモノレール導入を予定していたマカッサル市は最近、計画の延期を発表している。
スラバヤのモノレールと路面電車については、友人のブログに詳しい情報が載っているので、そちらも参照して欲しい。
スラバヤのトラム(市内電車)のお話 その1
スラバヤのトラム(市内電車)のお話 その2
スラバヤのトラム(市内電車)のお話 その3
スラバヤのトラム(市内電車)のお話 その4
スラバヤのトラム(市内電車)のお話 その5
スラバヤにもモノレールだって!!
(参考)TEMPO, 2 Juni 2013.
スラバヤに来て感じたことの一つは、320万人もの人口を抱えた大都市にもかかわらず、バスや乗合などの公共交通機関が極めて脆弱なことである。もちろん、乗合は何路線もあり、ジョヨボヨ・ターミナルというものもある。しかし、ジャカルタのビスコタ、メトロミニ、コパジャ、ミクロレットのような頻繁に走っている公共交通がほとんどない。バイクと自家用車が圧倒的である。
でも、スラバヤはもともと公共交通機関のあった街なのである。オランダ時代の1925年頃から1975年頃まで、蒸気で走る路面電車と電気で走る路面電車が走っていた。 料金は当時の額で3セン、オート三輪が25セン、タクシーが50センだったという。路面電車はバスに取って代わられた。しかし、そのバスも廃れて、本数が少なくなった。
スラバヤ市の道路延長距離は1426キロメートルで、個人所有二輪車・自動車の台数は2008年の140万9360台から2011年には699万3413台へ急増した。ところが、その一方で、バスの台数は250台から167台へ、乗合の数も5233台から4139台へと大幅に減少している。
当然、道路の渋滞は激しくなってくる。5年以内に、スラバヤの渋滞はジャカルタ並みになるという見方が強い。
そこで、スラバヤ市は、モノレールと路面電車を組み合わせたMRTを導入し、2015年に運転を開始したい意向である。両者の概要は以下の通りである。
<モノレール>(SUROTREM)
延長距離:16.7km
操車場駅:Joyoboyo
停車駅数:29
駅間距離:500-1,000m
年間予想利用客:2793万6900人
投資額:1.2兆ルピア
1車両当たりの最大乗客数:200人
車両編成:2両連結
経済的な料金:8,000-10,000ルピア
住民の支払可能額:6,000-10,000ルピア
車両数:21台
<路面電車>(BOYORAIL)
延長距離:23km
操車場駅:Kenjeren, Joyoboyo
停車駅数:23
駅間距離:500-2,000m
年間予想利用客:4371万7742人
投資額:8.5兆ルピア
1車両当たりの最大乗客数:400人
車両編成:4両連結
経済的な料金:37,000-40,000ルピア
住民の支払可能額:6,000-10,000ルピア
車両数:18台
予想されるのは、建設工事により渋滞がよりひどくなる、ということである。また、公共交通期間に乗り慣れていない人々が、果たして整然と乗り降りできるだろうか、という点も懸念材料である。
そもそも、民間が資金を出さなければ実現しない話だが、本当に資金を出す民間が出てくるのだろうか。実現できたらいいけれど、そう簡単ではないだろう。スラバヤと同時期にモノレール導入を予定していたマカッサル市は最近、計画の延期を発表している。
スラバヤのモノレールと路面電車については、友人のブログに詳しい情報が載っているので、そちらも参照して欲しい。
スラバヤのトラム(市内電車)のお話 その1
スラバヤのトラム(市内電車)のお話 その2
スラバヤのトラム(市内電車)のお話 その3
スラバヤのトラム(市内電車)のお話 その4
スラバヤのトラム(市内電車)のお話 その5
スラバヤにもモノレールだって!!
(参考)TEMPO, 2 Juni 2013.
2013年6月2日日曜日
【お知らせ】スラバヤで日系企業で働くインドネシア人向けワークショップ(6/12)
日系企業で働くインドネシア人スタッフ向けのワークショップは、昨年からジャカルタで開催してきましたが、スラバヤでも、下記の通り、実施することとなりました。
と き: 2013年6月12日(水)10~17時
ところ: Fave Hotel MEX Surabaya (Jl. Pregolan 1-5, Surabaya 60262)
http://www.favehotels.com/hotellist/eng/13/favehotel-mex-surabaya/local
と き: 2013年6月12日(水)10~17時
ところ: Fave Hotel MEX Surabaya (Jl. Pregolan 1-5, Surabaya 60262)
http://www.favehotels.com/hotellist/eng/13/favehotel-mex-surabaya/local
講 師:松井和久(JACスラバヤ、シニアアドバイザー)
定 員:30名(定員になり次第、締め切らせていただきます)
参加費:Rp. 800,000+VAT10%(昼食代を含む)
インドネシア人中間管理職・マネージャーを対象に、日本の企業文化の背景や基礎を理解し、日系企業内でのコミュニケーション能力を高めるためのディスカッション・ワークショップです。
まず、参加者のコミュニケーションをめぐる経験をシェアした後、暗黙知をキーワードに、報連相、5S、カイゼンなどを取り上げながら、日本の企業文化の基礎や背景に説明します。その後、参加者の経験をもとにしたロール・プレイを作り、それを演じながら、参加者間の討論や経験交流を通じて、日本人経営者・管理者とより親密なコミュニケーションを実現するための改善提案とアクション・プランを作成します。
<お申し込み方法>
1) 会社名 2) 参加者名・役職 3) 参加者のメールアドレス 4) 参加者の携帯電話番号
スラバヤでは今回が初めての開催となります。スラバヤ周辺の日系企業の皆様、
御社のスタッフをこの機会に参加させてみてはいかがでしょうか。
多数のご参加をお待ちしております。
なお、ジャカルタでは明日6月3日(月)の後、7月2日(火)にも開催の予定です。
よろしくお願い申し上げます。
2013年5月28日火曜日
スラバヤ空港でのGaruda Indonesia職員
5月25日、スラバヤからジャカルタへ日帰り出張した。5月20~22日に一組、5月23~28日にもう一組、視察同行中で、後者については、仏教のワイサックで祝日であることを理由に1日だけあけてもらうことをお願いし、日帰り出張を行った。
25日朝、スラバヤのジュアンダ空港でGaruda Indonesiaのカウンターでチェックイン。通常よりも一人一人のチェックインに要する時間が長いので何かおかしいとは感じていた。自分の番になって、その理由がわかった。カウンターの職員曰く「直前の便がキャンセルになって、その客がお客様の予約した次の便へ振り向けられたため、オーバーブッキングとなり、乗れません。さらに次の便に振り替えます」とのこと。
はあ? 前の便がキャンセルになると後の便に振り替えて、後の便に予約を入れておいた私が乗れないわけ? 午前11時からジャカルタで会議のため、遅れないようにこの便にしたのに、どういうことなのか? これがGaruda Indonesiaの通常のやり方なのか? カウンターの職員に詰め寄ったが、彼女はGaruda Indoensiaではなく空港サービス会社の職員なので、、「Garuda Indonesiaのカスタマーサービスに話してください」と取り合ってくれなかった。
ともかく、次の便に振り向けられ、その搭乗券をもったまま、Garuda Indonesiaのカスタマーサービスへ。同じような運命になったと思われる何人かの乗客がそこにいた。Garudaのネームタグをつけた男性職員に苦情を話す。するとその職員、「ご意見を言っていただいたお客様をとてもありがたく思います」「素晴らしい意見ですね」「ご意見賜ります」と、褒め言葉が並ぶ。それでさらにカチンと来て苦情を言い続けると、今度は何度も「申し訳ありません」を繰り返し始めた。頭にきたが、埒が明かないので、あきらめて、当初乗る予定の次の便を気長に待つことにした。
振り向けられた次の便だとジャカルタ着は10:20、土曜・祝日で空港からジャカルタ市内への高速が空いていたとしても、おそらく間に合わない。会議の相手にお詫びの連絡を入れた。
話はここで終わらなかった。
ジュアンダ空港内のカフェで、中華チマキとコーヒーの朝食をゆったり摂っていると、先ほど私が会ったGaruda Indonesiaのカスタマーサービスの職員が、息を切らせながら私のところへ駈け込んできた。そして言う。「お客様、当初お乗りになるはずだった便ですが、キャンセルが一人出ました。お客様だけ特別にご案内したいのですが」と。
私と同様の運命になった乗客はたくさんいたはず。なぜ私だけなのか。他の乗客にもちゃんと情報を流したのか。病人や急用のある人など、緊急性の高い乗客がいるのではないか。私だけが特別扱いされるのはおかしい。こんな風にまくし立てていると、「もう時間がないんです。1人分だけですから、どうか搭乗してください」と懇願される始末。
2個あった中華チマキを1個だけ食べ、コーヒーを半分以上残したまま、その職員に急かされながら、搭乗口へ向かった。搭乗券の便名やシート番号は手書きで直され、日帰りで手荷物のみだったので、そのまま搭乗。本来、自分が乗るはずだった便に結局乗ってしまった。
便は約30分遅れで出発。最後の乗客である私を待っていたためだろうか。
機内を見ると、同じ柄のバティックを着たウムロ(断食明け以外の時期に聖地メッカへ行くこと)に行くと思われる方々が多数乗っていた。見た感じ、政府高官やその子弟のような方々が多いように見えた。
もちろん、ジャカルタでの会議の時間には間に合った。きっと、素直にラッキーと思えばよいのかもしれない。でも、後味の悪い何かが残る顛末であった。
25日朝、スラバヤのジュアンダ空港でGaruda Indonesiaのカウンターでチェックイン。通常よりも一人一人のチェックインに要する時間が長いので何かおかしいとは感じていた。自分の番になって、その理由がわかった。カウンターの職員曰く「直前の便がキャンセルになって、その客がお客様の予約した次の便へ振り向けられたため、オーバーブッキングとなり、乗れません。さらに次の便に振り替えます」とのこと。
はあ? 前の便がキャンセルになると後の便に振り替えて、後の便に予約を入れておいた私が乗れないわけ? 午前11時からジャカルタで会議のため、遅れないようにこの便にしたのに、どういうことなのか? これがGaruda Indonesiaの通常のやり方なのか? カウンターの職員に詰め寄ったが、彼女はGaruda Indoensiaではなく空港サービス会社の職員なので、、「Garuda Indonesiaのカスタマーサービスに話してください」と取り合ってくれなかった。
ともかく、次の便に振り向けられ、その搭乗券をもったまま、Garuda Indonesiaのカスタマーサービスへ。同じような運命になったと思われる何人かの乗客がそこにいた。Garudaのネームタグをつけた男性職員に苦情を話す。するとその職員、「ご意見を言っていただいたお客様をとてもありがたく思います」「素晴らしい意見ですね」「ご意見賜ります」と、褒め言葉が並ぶ。それでさらにカチンと来て苦情を言い続けると、今度は何度も「申し訳ありません」を繰り返し始めた。頭にきたが、埒が明かないので、あきらめて、当初乗る予定の次の便を気長に待つことにした。
振り向けられた次の便だとジャカルタ着は10:20、土曜・祝日で空港からジャカルタ市内への高速が空いていたとしても、おそらく間に合わない。会議の相手にお詫びの連絡を入れた。
話はここで終わらなかった。
ジュアンダ空港内のカフェで、中華チマキとコーヒーの朝食をゆったり摂っていると、先ほど私が会ったGaruda Indonesiaのカスタマーサービスの職員が、息を切らせながら私のところへ駈け込んできた。そして言う。「お客様、当初お乗りになるはずだった便ですが、キャンセルが一人出ました。お客様だけ特別にご案内したいのですが」と。
私と同様の運命になった乗客はたくさんいたはず。なぜ私だけなのか。他の乗客にもちゃんと情報を流したのか。病人や急用のある人など、緊急性の高い乗客がいるのではないか。私だけが特別扱いされるのはおかしい。こんな風にまくし立てていると、「もう時間がないんです。1人分だけですから、どうか搭乗してください」と懇願される始末。
2個あった中華チマキを1個だけ食べ、コーヒーを半分以上残したまま、その職員に急かされながら、搭乗口へ向かった。搭乗券の便名やシート番号は手書きで直され、日帰りで手荷物のみだったので、そのまま搭乗。本来、自分が乗るはずだった便に結局乗ってしまった。
便は約30分遅れで出発。最後の乗客である私を待っていたためだろうか。
機内を見ると、同じ柄のバティックを着たウムロ(断食明け以外の時期に聖地メッカへ行くこと)に行くと思われる方々が多数乗っていた。見た感じ、政府高官やその子弟のような方々が多いように見えた。
もちろん、ジャカルタでの会議の時間には間に合った。きっと、素直にラッキーと思えばよいのかもしれない。でも、後味の悪い何かが残る顛末であった。
2013年5月17日金曜日
ジャワ・ポス紙編集部訪問
5月15日、パートナーコンサルタントのM氏の紹介で、スラバヤを本社とする全国日刊紙『ジャワ・ポス』(Jawa Pos)の編集部を訪問し、編集長はじめ編集スタッフと面会してきた。その様子が、さっそく、5月16日付の『ジャワ・ポス』に掲載された。
実は、『ジャワ・ポス』の編集部へ行ったのはもう10年ぶりぐらいだった。あの頃からずっと、ジャワ・ポスの編集ルームはインドネシアで一番広いと言われていたが、どうも今もそうらしい。変わっていなかった。
この『ジャワ・ポス』紙は、全国の地方紙100紙以上にネットワークを持ち、記事を配信している。おそらく、全国をくまなくカバーしている新聞メディアといってよいだろう。
実は、首都ジャカルタに本社を置く新聞社で、『ジャワ・ポス』と同様のネットワークを持っているところはなく、クォリティペーパーとされる『コンパス』が『ジャワ・ポス』を追い上げようとしているが、全国地方紙のカバレッジでは、『ジャワ・ポス』に大きく後れを取っている。
『ジャワ・ポス』は、数は多くはないが、スラバヤがジャカルタを凌駕する事例の一つといってよいかもしれない。
この『ジャワ・ポス』に、定期的に日本=インドネシア関係に関するエッセイをインドネシア語で書いてみたいと考えている。その話を持ちかけると、編集部は大賛成。まずは、こちらで書いたものを読んでもらってから判断する、ということになった。
うまくいけば、この前のブログで呼びかけた「日本企業がインドネシアでどのような役割を果たし、どう貢献しているのか」をインドネシア語で発信する場を確保できそうである。しかも、うまくいけば、系列の地方紙にも転載されるようだ。
さあ、これから、である。
この『ジャワ・ポス』紙は、全国の地方紙100紙以上にネットワークを持ち、記事を配信している。おそらく、全国をくまなくカバーしている新聞メディアといってよいだろう。
実は、首都ジャカルタに本社を置く新聞社で、『ジャワ・ポス』と同様のネットワークを持っているところはなく、クォリティペーパーとされる『コンパス』が『ジャワ・ポス』を追い上げようとしているが、全国地方紙のカバレッジでは、『ジャワ・ポス』に大きく後れを取っている。
『ジャワ・ポス』は、数は多くはないが、スラバヤがジャカルタを凌駕する事例の一つといってよいかもしれない。
この『ジャワ・ポス』に、定期的に日本=インドネシア関係に関するエッセイをインドネシア語で書いてみたいと考えている。その話を持ちかけると、編集部は大賛成。まずは、こちらで書いたものを読んでもらってから判断する、ということになった。
うまくいけば、この前のブログで呼びかけた「日本企業がインドネシアでどのような役割を果たし、どう貢献しているのか」をインドネシア語で発信する場を確保できそうである。しかも、うまくいけば、系列の地方紙にも転載されるようだ。
さあ、これから、である。
2013年5月8日水曜日
【お知らせ】さらさ5月号はスラバヤ特集、連載も開始
ジャカルタで発刊されている日本語情報誌『さらさ』2013年5月号は、スラバヤ特集。下記より、期間限定で無料ダウンロード可能である。
http://www.hellodong.com
私も、今号から『さらさ』に「スラバヤ、わが町」という名の連載を開始した。合わせてご高覧いただきたい。
実は、別の日本語情報誌にもスラバヤに関する連載執筆を予定。おそらく、来月号からになる予定。
http://www.hellodong.com
私も、今号から『さらさ』に「スラバヤ、わが町」という名の連載を開始した。合わせてご高覧いただきたい。
実は、別の日本語情報誌にもスラバヤに関する連載執筆を予定。おそらく、来月号からになる予定。
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