ラベル 中ジャワ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 中ジャワ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2014年6月3日火曜日

中ジャワ州・サユン総合エコ工業団地

5月28日、中ジャワ州デマック(Demak)県にあるサユン総合エコ工業団地(Sayung Integrated Eco-Industrial Park)の建設予定地を視察した。


この工業団地は、中ジャワ州の州都スマラン市のすぐ東隣のデマック県西部サユン地区に建設中である。渋滞がなければ、スマラン市中心部や空港から車で30分、タンジュン・エマス港から車で25分の距離である。スマランとスラバヤを結ぶ国道沿いに建設中で、道路へのアクセスはとても良い。

工業団地が全部完成するのはまだ先で、確保した用地面積は1600ヘクタールに上る。そのうちの300ヘクタールを第1期工事として建設中なのである。下の写真のようなサイトプランが計画されている。


現在の予定では、2014年後半までに用地を整備し、2014年末には入居者が工場建設を開始、同時にガスや電力や用水を供給するインフラ整備を進める。工業団地内の燃料は基本的に天然ガスを使い、それは中ジャワ州東部のチェプ・ガス田からパイプラインで供給されるそうである。

正式オープンは2014年6月を予定し、訪問した時点ではまだだったが、すでに地場企業が1社が用地を購入済みで、マレーシアからの外資系企業1社を含む3社が用地購入を検討中とのことである。

サユン総合エコ工業団地を管理・経営するのは、スマランに本拠を置く地場民間のムガン・グループ(Mugan Group)という企業グループで、同企業グループ内の企業PT. Jawa Tengah Lahan Andalan(通称:Jateng Land)が、スマラン市西部で工業団地を管理・運営する国営ウィジャヤクスマ工業団地(Kawasan Industri Wijayakusuma: KIW)と合弁を組んでいる。

ムガン・グループは、携帯電話のEverCossやタブレットAdvanなど、地場ブランド製品の製造・販売がメインである。これまでは、全面的に中国から部品を輸入して組み立ててきたが、7月以降は、部品調達もインドネシア国内から行う予定とのことである。


今回、たまたまエドワード社長に面会できた。社長は、「ジャカルタ中心ではなく、地方から地場ブランドの製造業を興していきたい」と熱く語り、サユン総合エコ工業団地を「インドネシアにおける本当の意味でのエコな工業団地にしたい」と述べた。

Jateng Landの担当者によると、今ならば、用地価格を特別価格として1平方メートル当たり100万ルピア(約1万円)前後で提供できるとのことである。

より詳しい情報については、下記の連絡先、または私(matsui01@gmail.com)までご連絡いただきたい。

PT. Jawa Tengah Lahan Andalan (Jateng Land)
Menara Suara Merdeka, 8th Floor
Jl. Pandanaran No. 30, Semarang
Phone/Fax: +62-24-76928822
Email: jatengland@gmail.com
Contact Person: Mr. Setyo Adi

2014年4月9日水曜日

ソロの工場に掲げられた標語集

先週の中ジャワ州ソロ(スラカルタ)への出張では、2件の工場訪問も行なった。いずれも繊維関係の有名工場で、そのうちの1社は、従業員数4万人を抱えるインドネシア最大の繊維・縫製企業である。


4万人の従業員を抱える企業では、上のような写真の縫製工場が11棟ある。これ以外に、今回は見学できなかったが、生地を製造する大きな紡績工場が数棟あり、この企業だけで日本全体の2倍以上、韓国全体とほぼ同じ紡績生産を行っているというから、その規模は桁違いである。

中ジャワ州は、ソロを始めとして、ジャカルタ周辺や中国からの繊維関係企業の移転あるいはOEM生産委託先として、注目を集めている。それは、単に最低賃金が低いからだけでなく、このような繊維・縫製関連の実績や基盤がかなり整っていることも背景にある。

今回訪問した2つの工場では、工場内に掲げられた標語がなかなか興味深かった。そのいくつかを以下に紹介する。


「おしゃべりは少なく、働きは多く」。韻を踏んでいるのは、インドネシアの詩ではよくあること。とにかく、インドネシアの人々はおしゃべりが好き。それが職場の雰囲気を和らげているのだが、「おしゃべり禁止!」としないところが興味深い。


「頭のいい人は常に方法を探す。怠け者は常に理由を探す」。問題に直面したときに、どう対応するか、という話なのだろう。まずは自分を守るために「自分は悪くない」と主張し、言い訳を並べる、というのは、何もインドネシア人に限ったことではない。


「怒り。1度怒ると、喜びがなくなる。2度怒ると、理性が飛んで行く。3度怒ると、血圧が上がる。4回怒ると、友だちが去っていく。5回怒ると、すぐに老ける。6回怒ると、罪の扉が開かれる」。最後の6回目のは、怒ること自体が罪となり、地獄への門が開かれる、という意味なのだろうか。


「心。喜びの心は、力強い薬である。頑なな心は、行き止まりにぶつかる。柔らかな心は、親友を招く。貪欲な心は、罠をつくる。きれいな心は、問題を遠ざける」。前の「怒り」と対峙して掲げられていた。もう一つあるのだが、荷物が置かれていて、読み取れなかった。

これらの標語は、社長訓なのだろうか。私には、おそらく、従業員が自分たちで考えて作ったものではないかと思えた。

日本の工場などでは、規律を守らせたり、安全を換気したりする、体言止めの硬い標語が多い印象だったからか、ソロの2工場で見た標語は、思わず「そうだよな」と頷いてしまう、柔らかさを感じた。

標語という些細なものではあるが、職場にストレスを与え続けず、かつ、個々人のモチベーションを高められるような環境づくりという意味では、日本にとっても参考になるかもしれない。

2014年4月5日土曜日

ウォノギリ県の熱血県知事

4月3日、ある企業の方と一緒に中ジャワ州ウォノギリ県へ行った。

ウォノギリ県はソロ(スラカルタ)市から南東へ車で約1時間半、山がちの地形で、出稼ぎの多い貧しい地域として有名だった。若い女性は、ジャカルタなどで家事手伝いやベビーシッターとして働き、男は工事現場などで単純労働力を提供した。経済が発展する現在、ジャカルタ周辺の工場労働者となる者が増えたという。

実際、ジャカルタ=ウォノギリ間には直行バスが何本もある。地元では雇用機会が少なく、夜行バスでジャカルタへ出て働き口を探す。ウォノギリ出身者は、人口圧の高く、雇用機会の乏しいジャワの農村からジャカルタなどの都会を押し出されていく典型的な労働力とみなされていた。

それでも昨今、渋滞や洪水、賃金上昇など、ジャカルタ周辺の投資環境が悪化するなかで、低い最低賃金を求めて中ジャワ州へ企業移転を図るケースが増えてきた。それでも、昔のイメージが強かったからか、ウォノギリ県は取り残されているのではないかと思っていた。

実際は違っていた。貧しくて可哀想なウォノギリ県の姿は影を潜め、企業移転を積極的に受けようとする姿が印象的だった。

企業の方は、ウォノギリ県知事のダナル・ラフマント氏とアポを取ったということだったが、実際に行ってみると、アポは全く取られていなかった。急遽、10分でもいいから会えるようにと、企業の方の知り合いの方が動いて、県知事と会えることになった。

指定場所へ行くと、先客がいた。韓国系企業の方々だった。西ジャワ州かスバンからウォノギリへ工場を移転するという。彼らはすでに3回、ウォノギリ県を訪れており、今回で用地取得の青写真がほぼ決まったようであった。

彼らとの会合を終えた県知事が我々に会ってくれることになった。10分と思っていたが、30分大丈夫とのこと。「韓国系企業は5社程度が頻繁に訪れている」とのことだった。

県知事によると、人口120万人のウォノギリ県のうち、20%が出稼ぎで出ているが、彼らは、「もしウォノギリ県に工場のような雇用機会があればウォノギリで働きたい」という。5月に女性下着を製造する工場、7月に合板工場が操業を開始し、合わせて4000人以上の雇用機会が生まれる予定である。

県内には石灰石が豊富で、セメント工場ができる予定であり、インド洋側にできるそのセメント会社のジェッター付きの港を他企業も利用できるようにする。

ウォノギリ県政府は投資誘致のためにどれぐらい協力的なのか。筆者自身のスラウェシなどでの経験からすると、発展から取り残された投資の来ない地域では、企業投資は役人や地元有力者にとっての格好のたかりの対象になる。ウォノギリ県もそんな要素があるのではないか。色眼鏡で見てしまっている自分がいた。

しかし、次のような県知事の答えにびっくりした。

投資を予定している企業とは、県知事が投資局はじめ関係する県政府機関のトップを一同に集め、投資に必要な許認可や手続についてプレゼンをさせ、それらが何日で終わらせられるかをその場で明言させる。それ以後は、県知事が先頭に立って、許認可や手続などで不都合が出てくればそれを責任をもって解決していく。

ここまでは、威勢のいい県知事ならどこでも言いそうな話だ。でも、一番問題になるのは、用地の取得である。通常は、地権者と企業との間で交渉しなければならない。ところが・・・。

ウォノギリ県では、県知事が前面に立って地権者である住民を説得するというのである。県知事が挙げた事例によると、16ヘクタールの土地を用地として取得したいが、36人の地権者がいる。そう聞いただけでちょっと絶望的な気持ちになるが、県知事が地権者を説得し、わずか2週間ですべての地権者を同意させたのだという。

これは、通常ではあり得ない話ではないか。インドネシアではどこでも、用地買収が困難でインフラ整備が進まない。地権者は地価の値上がりを期待して、なかなか土地を手放そうとしない。

県知事は、工場が来ることで従業員の下宿屋ができ、食事をするワルンが栄え、地域経済への様々な乗数効果が上がることを具体的な数字で示したという。別の事例では、最初は1平方メートル当たり30万ルピアと地権者が言ってきた地価が、このような県知事の説明で地権者が納得し、なんと同11万ルピアへ下がったというのである。

県知事は、我々を前に、30分どころか、1時間以上も熱弁を振るった。そこには、貧しい出稼ぎの地と言われたウォノギリのイメージを変えてやるという、「熱血」県知事の強い意思が現れていた。

県知事は、自ら村々を回って、「工場で働かないか?」とリクルート活動までやった。

そしてまた、ジャカルタなどへ働きに出ている出稼ぎ者に帰ってきてもらうことで、ジャカルタの都市問題の解決にも役立ちたいとも言うのである。彼はジャカルタ首都特別州のジョコ・ウィドド(ジョコウィ)州知事とも親しいが、彼が大統領になったら、各地方に産業を起こすことを提案したいと言った。

実は、県知事と会った後、別の筋から、ウォノギリ県では800ヘクタールの工業団地建設構想があることを知った。すでに民間が用地を確保しているらしい。

筆者は、ウォノギリ県知事だけが突出しているわけではないことを知っている。中ジャワ州南部は、11月末に訪れたプルバリンガ県なども含めて、ジャカルタ周辺からの繊維関連企業などの工場移転ブームに呼応しようとしている。いい意味での自治体間での投資誘致競争が起きているといってもよい。

ウォノギリ県の2014年最低賃金は月額95万4000ルピア、まだ1万円にも満たない。ウォノギリ県への企業移転に絡む話で日本人が県知事に会いに来たのは今回が初めてとのことである。

インドネシア、とくにジャワ島の地方は動いている。首都ジャカルタは、このダイナミズムを知らない。いや、もしかしたら、「知ろうとしない」のではないか。それは言い過ぎかもしれないが。

2014年2月19日水曜日

クルド火山噴火、スマランから戻って

先週は、2月12〜14日の予定で中ジャワ州スマランへ出張していた。用務は順調に進んでいたが、14日朝、東ジャワ州のクルド火山が噴火したとの報道を聞いた。スラバヤでも火山灰が降っているらしいが、それを聞いたとき、スマランはまだその徴候はなかった。

14日朝9時過ぎ、スマラン空港でジャカルタから来た方と合流し、車に乗って訪問先へ向かおうとしたとき、チラチラと白い粉が空から舞い降りてきた。火山灰だった。

このとき、なぜか、3・11の後、原発が爆発した直後、福島県双葉地方に降ったという白い物体のことを思った。

空港には、すでに火山灰で真っ白な車もあった。中ジャワでも、サラティガから南は火山灰に覆われているとのことだった。ジョグジャカルタの友人から電話があり、火山灰が降っていて外には出られない状況とのことだった。スマランの状況からはちょっと信じられなかった。

間もなく、スマラン空港は閉鎖になった。そのときすでに、スラバヤ、マラン、ジョグジャカルタ、ソロの各空港は閉鎖になっており、日帰りの予定だったジャカルタから来たばかりの方々が慌て始めた。もちろん、私のスマラン発スラバヤ行きの便も早々にSMSでキャンセルのお知らせが来た。

用務の合間に、ジャカルタから来た方々の帰りの鉄道の切符確保と私の鉄道の切符確保に走った。その頃にはすでに、スマラン発ジャカルタ行きのほとんどの切符は売り切れになっていたが、スマラン発スラバヤ行きの切符はまだまだ余裕があった。

ジャカルタから来た方々はスマランに1泊して、翌15日朝発の鉄道列車のビジネス席に乗って帰ることになった。私は、15日午前2時半発の夜行列車でスラバヤへ戻ることにした。

1泊を余儀なくされたジャカルタから来た方と夕食を共にし、その後、深夜までワインなど飲んで、すっかり気分が良くなっていた。私はスマラン・タワン駅へ向かい、1時間遅れて着いた夜行列車に乗り、ワインの酔いのせいもあり、スラバヤまですっかり熟睡した。

スラバヤ・パサールトゥリ駅に午前7時過ぎに到着し、タクシーに乗って無事自宅に到着。あーあ、疲れた、と思ってカバンを開けたら・・・。

ない。ない。ノートパソコンとiPadがなくなっている。一体、どこで・・・。

そういえば、列車を降りるとき、網棚の上に置いたカバンの位置がちょっと違っていたのが気になったが、まあ、列車が揺れたりして動いたのだろうと思って、気にしなかった。そして、なぜそのカバンに、今回だけは鍵をかけなかったのだろうか、と後悔したが、後の祭りだった。

手元のiPhoneでiPadを探してみるが、オフラインのままで反応がない。

でも、幸い、パスポートやクレジットカードは無事だった。パソコンのデータもクラウドに保存してあったので、実害はほとんどなかった。

最近、ちょっとポカが多くなった気がする。この間も、パレンバンで古いデジカメを盗られた。年齢のせいなのか、疲れているためなのか。

ショックだったが、しょんぼりしてはいられない。土日を使って、月曜締切の原稿2本、火曜締切の原稿2本を書かなければならないのだ。

とにかく、すぐに代わりのパソコンを手にしなければならない。思い切って、MacBook Airを購入し、18日(火)までに4本の原稿をそれで書いた。このブログもそれで書いている。

原稿を書き終わった後、本当に久しぶりに2時間、昼寝をした。ほんとうに本当に久しぶりによく寝た。

スラバヤは連日の激しい雷雨で、クルド火山の火山灰はほとんど洗い流されていた。16日朝にはスラバヤ空港も再開し、見た目には、噴火の影響は何もないように見える。しかし、スラバヤから車で2時間も行けば、火山灰に覆われ、避難を余儀なくされた人々の場所がある。

スマランからスラバヤへ向かう列車の中で、ボジョヌゴロ付近からしばらく、空の白が異常なほど濃くなっているのが見え、その上に、顔面蒼白のような太陽が見えた。それを見ながら、怖いと思った。再び、3・11後の福島県双葉地方のことを思っていた。

2013年12月18日水曜日

中ジャワ州山間部にてウナギ蒲焼を食す(一部修正)

すでに以前のブログ「インドネシア・中ジャワ州南西部の投資環境(報告)」に掲載したPDFファイルの報告書でも書いたのだが、11月27日、中ジャワ州のバンジャルヌガラ県でウナギ蒲焼を食べてきた。それも、生きたウナギを目の前でさばき、開いて串に刺し、オーブンでじっくり焼いて、濃厚なタレをつけていただく、というなかなか贅沢なひとときだった。

このウナギ、南海岸に面したチラチャップ付近で漁民が獲った稚魚(シラス)をいったん海水の池に集め、そこから淡水の池に移して徐々に淡水に慣らしながら大きくしていく。種類はジャポニカ種ではなくビコール種、日本の蒲焼用のウナギは体長20〜25センチ程度だが、今回いただいたのはそれよりも若干長い30〜40センチのものだった。

この企業は兄弟・親戚の3人で動かしている小さな企業である。以前、日本で開催されたFOODEX JAPANへ蒲焼を出展したが、「泥臭い」と言われて散々だった。日本滞在中に、彼らは浜松のウナギ養殖業者を訪問し、いろいろ学んだ。「泥臭い」原因 は、海水で大きくしたウナギを使ったからで、地下水などの淡水を使うと臭みが抜けることに気づき、FOODEXの半年後、淡水で育てたウナギの蒲焼で再チャレンジした。評判はよく、日本のウナギ蒲焼と遜色ないと評された。

3人のうちの一人は、スラバヤの料理学校を出た後、ジャカルタのリッツカールトンで修行した男で、彼が浜松で蒲焼の作り方、タレの作り方を学び、短期間でそれを習得した。浜松の巨匠は1分間に40匹のウナギをさばくそうで、技の習得に長い期間が必要とのことだが、この彼は、わずか1年間学んだだけで、1分間で25匹をさばくという。その技も見せてもらった。(このくだりは、この企業の人の話だが、よくよく考えてみれば、非現実的な数字のように思える。1時間当たりの数字なのかもしれない。要するに、このインドネシア人の彼が短時間で技術を身につけたということを強調したい表現と受け取ってもらえれば幸いである)。






このウナギ蒲焼、日本で食べる一般的なものよりも肉厚でふっくらしている。今回は関西風に蒸さずに直接焼いてもらったが、全体に脂っこくなく、適度な脂が乗っている。ビコール種は皮が堅いとよく言われるが、ちょっとカリッとしてはいるものの、食べられないほど堅くない。日本で学んできたタレはそのまま注ぎ足しながら味をキープしてきたもので、浜松の巨匠も太鼓判を押したというのがうなずけるよくできたタレだった。



ウナギ蒲焼を口に運ぶ。ふわっと口の中に広がるウナギの柔らかな肉と脂の絶妙なハーモニー。こんなおいしいウナギを食べたのは本当に久しぶりだった。

しかも、私のためにわざわざ作ってくれた蒲焼。山椒がなかったのが本当に残念だった。

まだまだ手作りという感じの彼ら。今は月に100キロ程度、 某日本食レストランからの注文を受けて生産し、真空パックにして送っている。将来的には、月に5トン程度の蒲焼をつくりたいという計画を持ち、養殖場と蒲焼工場の敷地として24,000m2の土地を確保したという。彼らと一緒にウナギ養殖と蒲焼工場に興味を持つ投資家はいないだろうか。

このウナギ、一食の価値がある。もし、食べてみたい方がいれば、ご連絡いただきたい。彼らのウナギを食べるツアーなど企画してみたい、などと思う今日この頃である。

2013年12月12日木曜日

インドネシア・中ジャワ州南西部の投資環境(報告)

11月26〜29日に実施した中ジャワ州バンジャルヌガラ県・プルバリンガ県への出張の報告書が、ジェトロのホームページに掲載された。以下のサイトからPDFでダウンロード可能である。

 インドネシア・中ジャワ州南西部の投資環境(報告)

これは、今年7月に拝命した、中小企業海外展開現地支援プラットフォームコーディネーター(インドネシア)としての仕事の一部である。

なお、今後も、日本ではまだあまり知られていないインドネシアの地方の投資環境について、このブログも活用する形で、発信していく予定である。

今も、上記の仕事の一環として、ジョグジャカルタに進出されている某日系企業のお手伝いをさせていただいている。

ジャカルタ周辺ではなく、東ジャワ、中ジャワ、インドネシア東部地域など、地方でのビジネス展開を検討されている方は、遠慮なく、matsui01@gmail.com までご連絡いただきたい。

日本と、インドネシアと、世界の、地方・ローカルの味方でありたい。そう願っている。

2013年11月30日土曜日

ニューヨーク、シンガポール、メッカ

11月26〜29日、中ジャワ州のバンジャルヌガラ県とプルバリンガ県を訪問した。今回の出張の様子は、別途、このブログでお知らせする予定だが、今回は、バンジャルヌガラで出会ったニューヨークとシンガポールとメッカについてお知らせしたい。

バンジャルヌガラもプルバリンガも、中ジャワ州南西部の中心プルウォクルトからスマランへ抜ける街道沿いにある。プルウォクルトからプルバリンガまでは車で約30分、バンジャルヌガラまでは約1時間半であり、プルウォクルトから毎日通ってくる人も少なくない。

このため、バンジャルヌガラもプルバリンガも、泊まれるホテルが少ない。今回レンタルした車の運転手も、プルウォクルトまで戻って泊まることをしきりに勧めた。でも、ちょっと街の様子も見てみたいから、といって、バンジャルヌガラの3つ星ホテルに泊まることにした。

このホテルは、スルヤ・ユダ・パークの一角にあるスルヤ・ユダ・ホテルで、パーク内にウォーターボム・パーク、各種スポーツ施設、フィットネス、カラオケまで備えた一大エンターテイメント施設であった。


ホテル自体は、田舎のフツーのホテルだった。カラオケがうるさいといやなので、離れたスタンダードの部屋に泊まった。部屋は清潔だが、トイレは久々の便座にしゃがむ方式だった。インターネットはつながるという話だったが、実際にはつながらなかった。まあ、こんなものだろうと思う。ここまで来て、原稿書きをする人もいないだろう。

このなかに、ニューヨークとシンガポールとメッカがあった。


この3つが隣接しているとは、なんと便利なことだろう。言ってみれば、この3つ、自由の女神、マーライオン、カーバ神殿は、人々のあこがれの場所なのだろう。日本人がかつて、ハワイやグアムにあこがれたように。

話によると、土日や祝日は常に満室で、たくさんの来訪客で賑わうそうである。

スルヤ・ユダ・パークは、インドネシアの庶民がどのような娯楽エンターテイメント施設を望んでいるか、を体現した施設だといえる。それは、自分の個人的な趣味とはだいぶ違うが、何となく、日本の1970年代に各地に建設された、宿泊・食事・温泉・レジャーを含む観光施設と共通する何かがあるように感じる。

2013年11月19日火曜日

中ジャワ州2014年各県・市の最低賃金

中ジャワ州各県・市の2014年最低賃金が、以下の表の通り、確定した。


  県・市名 Kab/Kota 2014UMK 2013UMK %
最低賃金 最低賃金 増加率
都市 スマラン市 Kota Semarang 1,423,500 1,209,100 17.73
スラカルタ市(ソロ市) Kota Surakarta 1,145,000 915,900 25.01
サラティガ市 Kota Salatiga 1,170,000 974,000 20.12
マゲラン市 Kota Magelang 1,037,000 901,500 15.03
プカロンガン市 Kota Pekalongan 1,165,000 980,000 18.88
テガル市 Kota Tegal 1,044,000 860,000 21.40
北側東部 ブローラ県 Kab. Blora 1,009,000 932,000 8.26
レンバン県 Kab. Rembang 985,000 896,000 9.93
パティ県 Kab. Pati 1,013,027 927,600 9.21
グロボガン県 Kab. Grobogan 935,000 842,000 11.05
クドゥス県 Kab. Kudus 1,150,000 990,000 16.16
ジェパラ県 Kab. Jepara 1,000,000 875,000 14.29
デマック県 Kab. Demak 1,280,000 995,000 28.64
北側西部 スマラン県 Kab. Semarang 1,208,200 1,051,000 14.96
クンダル県 Kab. Kendal 1,206,000 953,100 26.53
バタン県 Kab. Batang 1,146,000 970,000 18.14
プカロンガン県 Kab. Pekalongan 1,145,000 962,000 19.02
プマラン県 Kab. Pemalang 1,066,000 908,000 17.40
テガル県 Kab. Tegal 1,000,000 850,000 17.65
ブレベス県 Kab. Brebes 1,000,000 859,000 16.41
南側西部 チラチャップ県(市内) Kab. Cilacap (Kota) 1,125,000 986,000 14.10
チラチャップ県(東) Kab. Cilacap (Timur) 975,000 861,000 13.24
チラチャップ県(西) Kab. Cilacap (Barat) 950,000 816,000 16.42
バニュマス県 Kab. Banyumas 1,000,000 877,500 13.96
クブメン県 Kab. Kebumen 975,000 835,000 16.77
プルバリンガ県 Kab. Purbalingga 1,023,000 896,500 14.11
バンジャルヌガラ県 Kab. Banjarnegara 920,000 835,000 10.18
南側中部 ウォノソボ県 Kab. Wonosobo 990,000 880,000 12.50
トゥマングン県 Kab. Temanggung 1,050,000 940,000 11.70
マゲラン県 Kab. Magelang 1,152,000 942,000 22.29
プルウォレジョ県 Kab. Purworejo 910,000 849,000 7.18
南側東部 クラテン県 Kab. Klaten 1,026,600 871,500 17.80
スコハルジョ県 Kab. Sukoharjo 1,150,000 902,000 27.49
ウォノギリ県 Kab. Wonogiri 954,000 830,000 14.94
カランアニャール県 Kab. Karanganyar 1,060,000 896,500 18.24
ボヨラリ県 Kab. Boyolali 1,116,000 895,000 24.69
スラゲン県 Kab. Sragen 960,000 864,000 11.11

上の表を見ると、上昇率は比較的低めであるが、20%を超えているデマック県とクンダル県では、現在、大きな工業団地の造成が計画されている。

最低賃金は上昇したが、ジャカルタ周辺に比べれば、まだかなり低いレベルにあるといえよう。南側西部のプルバリンガ県やバンジャルヌガラ県、南側東部のボヨラリ県などには、韓国系などのかつら・つけまつげ、繊維などの企業が投資を行ってきている。

納期の要求がそれほど厳しくなく、手先の器用さなどを求める労働集約型産業にとっては、中ジャワ州はまだ十分に魅力的であろう。

2013年3月29日金曜日

インドネシアの工業団地は民間主導

日本からの企業投資が増えるにつれ、工業団地の用地不足が問題視されている。用地不足に伴い、土地価格も急速に値上がりしている。

政令2009年第24号第7条に基づき、新規製造業投資が立地する場合には必ず工業団地に立地することが定められている。ただし、(1) 原料や生産過程の関係で特別の場所に立地する必要がある場合(セメント、肥料、製紙、造船など)、(2) 中小企業の場合、(3) まだ工業団地のない県・市の場合や工業団地があってもすでに空きがない場合、には、工業団地以外への立地が認められる。

工業省によると、1兆ルピアの投資は通常12.5haの工業団地用地を必要とする。2011年時点での工業団地の販売用地面積は1,247.84haで、外国投資・国内投資の製造業部門への投資額は計99.64兆ルピアであった。

現段階で工業団地の空き用地面積は7,911.98haであり、今後、製造業投資については、2013年中に2,372.59ha、2014年に2,847.10ha、2015年に3,416.53haの新規用地需要が見込まれている。すなわち、今から工業団地を造成・拡張していかないと、ほどなく工業団地は一杯になってしまう。

工業団地の造成・拡張を急いで進めていかなければならないのだが、そのネックとなっているのが、インドネシアの工業団地開発が民間主導であることである。インドネシアでは、国営の工業団地面積は全体のわずか6%にすぎず、残りは民間企業による工業団地である。

他方、他のアジア諸国では、工業団地整備の主役は政府である。工業団地に占める政府系の比率は、(必ずしも年代が同じではないが)台湾90%、シンガポール85%、日本85%、マレーシア78%、 韓国70%、とされている。実は、インドネシアも1989年までは工業団地はほぼすべてが国営だった。その後、工業団地建設が外資を含む民間へ開放され、インドネシアでの工業団地建設は民間主導で進められていった。

そして、かつて建設された国営工業団地の設備が民間よりもはるかに劣っていることが明らかになってしまった。敷地の半分を、工場ではなく、倉庫が占める国営工業団地も存在する。

工業団地は、インドネシアのどこでも同じ訳ではない。先に挙げた工業団地の空き用地面積は、スマトラ、スラウェシ、カリマンタンなどジャワ島以外のものを含めた面積であり、そうしたところへジャボタベックと同様の製造業が投資が行われるわけではない。そう考えると、工業団地の用地の逼迫度はなおさらのこと高まる。

西ジャワ州カラワンなどでは、全国有数の豊かな米作地帯の水田が工業団地に取って代わられたところもある。現状では、水田の単収を上げることで生産量を維持しているが、工業団地の造成とともに、水田面積の減少傾向は否めない。一方、地主は地価上昇を見越して、工業団地用に土地をなかなか手放さない傾向もある。

不動産事業としての側面を強く持つインドネシアにおける民間主導の工業団地建設は、まだしばらくは活況を呈していく。とくに、集中の弊害が懸念され始めたジャカルタ周辺(ジャボタベック)から、東ジャワ州(州都・スラバヤ)や中ジャワ州(州都・スマラン)などへ、工業団地建設の波が広がっていくものと見られる。

2013年3月27日水曜日

中ジャワへの企業移転

渋滞、賃金高騰、労働争議。ジャカルタ周辺で投資環境が急速に悪化しているとの認識が一部企業の間に出てきた。韓国やインドの企業のなかには、インドネシアからバングラデシュやミャンマーへの工場移転を考える企業もあるという。

インドネシア政府としては、何とか企業のインドネシアからの撤退、海外への移転を防ぎたいと考えている。「もはや低賃金労働を売り物にする国ではない」と言いながらも、労働集約型企業を引き留めるには、ジャカルタ周辺以外の場所を移転先としてプロモーションしなければならない。

その一つとして、最近よく名前の挙がるのは、スラバヤを中心とした東ジャワ州と、スマランやソロを含む中ジャワ州である。両州とも人口は約3500万人、豊富な労働力を抱えている。とくに、中ジャワ州は最低賃金がジャカルタ周辺の半分程度、最高のスマランでも1ヵ月120万ルピア程度であり、場所によっては同80〜90万ルピアの県・市もある。メディアを通じて、労働集約型企業には、「海外へ移るよりも中ジャワへ」というメッセージを流し始めている。

中ジャワ州投資局によると、2012年中に投資申請をした企業は40社あるが、そのうちの60%が拡張投資で、ジャカルタ周辺の既存工場に付加したものが大半だった。実際に投資を実施したのは40社中19社に留まる。

移転を計画している企業の多くは繊維産業で、中ジャワの人材は手先が器用で根気強く、しかも労働コストが安い、というのが魅力のようである。実際、ジャカルタ周辺の繊維計の工場で多くの中ジャワ出身者が働いているという。

変わったところでは、韓国系のカツラ・付け睫毛を製造する工場が中ジャワ州ボヨラリ県などに集積し始めている。工業団地がないところへの進出だが、集積し始めたことで、韓国政府の支援で、工業団地建設計画が進められている。もっとも、まだ韓国系だけで工業団地を埋めることは難しいので、韓国貿易公社(Kotra)関係者は「今後は日系企業にも立地して欲しい」と呼びかけている。

注目される中ジャワだが、州内で工業団地がまだ6ヵ所しかないことがネックである。うち5ヵ所は州都スマラン周辺、1ヵ所は南岸のチラチャップにある。しかも、スマラン周辺はすぐに入れる空き区画が工業団地にない状態である。このため、スマランの西側のクンダルと東側のデマックに新工業団地の造成が進められている(いずれもスマランから車で30分圏内)。

中ジャワについてはまだまだいろいろな話題があるが、引き続き、このブログで紹介していきたい。