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2014年4月11日金曜日

スラバヤ観光地図2014完成!

「スラバヤについて興味はあるけど、どこに何があるかよく分からないんだよね」という声を時々聞く。日本語で書かれた観光ガイド地図のようなものがあればいいのになあ、と思っていたら・・・。実は、それがあった。


日本語で書かれた「スラバヤ観光地図2014」。作ったのは、国立アイルランガ大学人文学部日本研究学科の大学3年生。同学科では、日本語教育の一環として、この地図を作っている。次も、新3年生がこの地図の改訂版を作る、とのことだ。

一見したが、意外によく出来ている。施設の説明などでは、住所、電話番号、営業時間も書かれている。筆者がこれまでさんざん見たことのある地方政府の日本語観光パンフレットよりもはるかに出来がよい。

もちろん、最新情報に基づいて、訂正すべき箇所がないわけではない。それは指摘して訂正していく必要がある。でも、スラバヤについて日本語で書かれた地図はおそらくこれが最初ではないだろうか。

筆者としては、この地図を電子データ化して、少なくともPDF化して、タブレット端末でも見られるようにするとよいと思った。そうすれば、スラバヤを訪れる人たちが前もってダウンロードして使えるようになる。

さて、地図を作ったら、その次はどうするのか。そう、もちろん、地図を使って、スラバヤの街を歩くのである。その際、国立アイルランガ大学人文学部日本研究学科の学生たちが日本人の方々をガイドする用意がある、とのことである。できれば、古い建物をめぐるコース、地元の市場の探検コース、宗教寺院をまわるコース、食べ歩きコース、などのコースを作って、この地図を片手に街歩きできるといいなと思う。

この地図を入手されたい方、大学の学生たちと一緒にスラバヤの街歩きをされたい方は、国立アイルランガ大学人文学部日本研究学科までご連絡を。もちろん日本語OKである。

 国立アイルランガ大学人文学部日本研究学科
 Tel: +62-31-5035676, Fax: +62-31-503-5808
 Email: japanologyunair@yahoo.com
 担当: 清水千恵さん(JICA青年海外協力隊員)

2013年5月23日木曜日

ブラウィジャヤ大学での特別講義

5月18日、朝5時起きして、スラバヤから車で2時間のマランにある国立ブラウィジャヤ大学へ行き、日本語学科の学生を対象に「インドネシアの日系企業」という題で特別講義を行ってきた。

集まった学生は約120人、正直言って、かなりたくさんの学生が日本語を勉強していることに改めて驚いた。聞くと、ほとんどが日本語検定3〜4級程度、2級以上の学生は少ないようだ。2級以上になれば、そのほとんどが日系企業に就職できている。

床に薄いカーペットを敷いて座る形。考えてみれば、日本もそうだが、椅子はもともと外から持ち込まれたもので、床に座って、低い机に向かって学んだり作業したりするのが一般的にみえる。

かつて、マカッサルにいたとき、我が家の4分の3を地元の若者たちの活動に開放した際、彼らの運営する図書館(実はマカッサルで最初の民間図書館といってもよかった)では、床に座って低い机で本を読む形式だった。椅子は夭死していたにもかかわらず、である。

ブラウィジャヤ大学の学生たちは、床に座る形式のほうがリラックスして和やかな雰囲気でよい、という。たしかにそう思う。私の特別講義も、いつもより容易に笑いがとれ、リラックスした気分で行うことができた。

ブラウィジャヤ大学の日本語学科は、日本語検定2級取得を目標としている。講師陣も充実しており、日本人の講師の方が2名活躍されている。大学では4年時点で実地研修(KKN: Kuliah Kerja Nyata)を数ヵ月間行うが、将来の自分の職業に合わせて、学生が自分で探す。日本語学科の学生たちは、日系企業でのKKN受入を希望しており、実際、経験者もいるようだ。

また、ブラウィジャヤ大学は、株式会社ニキサエ・ジャパンと協力して、スカイプによるインドネシア語講座を開設している。最近、じゃかるた新聞などでも取り上げられた。

 日本インドネシア語学院

学生は講義をとても熱心に聞いてくれ、質問も活発だった。情報が行き交っているためか、以前に比べると、的外れな質問は本当に少なくなった。日本があこがれの国であることは確かだが、かつてのようなステレオタイプな日本イメージがいい意味で変わっていく様子がうかがえた。

2013年4月3日水曜日

カネ次第の文化は教育の現場から

1998年5月のスハルト政権崩壊以後、15年が経ち、インドネシアの民主化も地に足がついたかのように見える。かつて、言論や表現の自由が制限されていた時代からすると、雲泥の差がある。おそらく、今のインドネシアはアジアでも有数の民主主義を謳歌している国家であろう。

インドネシアの民主化は、憲法によれば、政党中心の政治をもとにする民主化である。議員の選出も、大統領や地方首長の選出も、すべて政党が基本になる。すなわち、政党から選ばれた者が国民の審判を経て議員になり、大統領になり、地方首長になる。

しかし、これら政治家への国民の不満は極めて高い。3月25日付KOMPAS紙が報じた同紙の世論調査によると、回答者の65.8%は政治家が私利私欲または政党の利益のために活動していると認識している。とりわけ、来年2014年総選挙へ向けた各政党の立候補選抜に対して、87.2%の回答者が「カネ次第」と見ている。立候補するためには、その母体となる政党にかなりの金額のカネを払わなければならない、という認識である。

多くの回答者は、政党は知っているが、候補者までは知らないと答えている。総選挙は比例代表制で、政党に投票するものの、各候補者のプロフィールをもっと知りたいという希望も少なくないようである。

候補者になるのもカネ次第、という構図は、実は政治だけに限る話ではない。学校に入学するのも、進級するのもカネがモノをいっている現状がある。警察官になるのも、公務員になるにも、まずはカネが要求される。すなわち、人物の能力や成績、やる気などが評価されるのではなく、まずはカネ、なのである。そしてそれが、学校という教育の現場で再生産され、それに慣れた子供たちが社会へと巣立っていく。

インドネシアの汚職は文化だという人がいるが、私は、こうした構造的なカネ至上主義の再生産構造をどこかでひっくり返さない限り、人物の能力や成績、やる気などで評価される仕組みは、表面上の格好は作れても(表面を取り繕うのはインドネシア人の特技の一つではある)、本当には作れないと考える。

とくに、教育の現場で、たとえ成績が良くても、カネやコネがないと進級・進学できないとするならば、そこで、子供たちはどのように世の中を渡っていくかをシニカルに学ぶことになる。そして、そこにこそ、世の中に対する不平・不満、宗教に頼って世の中を変えてやる、といった意識が生まれる温床があると思うのである。

参考までに、昔、翻訳+解説した拙稿を挙げておく。

・幼稚園入園狂騒曲(ニ・ニョマン・アンナ・マルタンティ)